読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

読書日記『怒らない禅の作法』枡野俊明 著①

 

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

 

 


今日の読書日記は『怒らない禅の作法』から、怒りから離れるための方法について。

 

 

頭に来たら 、一呼吸置く

 

誰もが 「怒ってはいけない 」と頭ではわかっています 。しかし 、ふとしたきっかけで怒りが生まれると 、つい感情的になって激しい口調でまくし立ててしまう 。そんな自分に嫌気がさし 、自己嫌悪に陥ってしまう人も多いのではないでしょうか 。

 

怒りに振り回されない自分になるには 、その場で怒りを収める工夫が必要です 。そこで 、いったん生まれた怒りを収めるための秘策があります 。

 

実に簡単なことです 。不愉快なこと 、腹の立つことがあった時 、何かを言う前にまず一呼吸置くのです 。浅い呼吸では効果がありません 。おなかをゆっくり動かしながら 、大きく丹田で深呼吸します 。この 「間 」が重要です 。

 

「それができれば 、苦労はない 」と思うかもしれません 。しかし 、私の尊敬する大本山總持寺の元貫首をされた板橋興宗禅師は 、怒りを収めるために実際この方法を使っていました 。私が知る限りまったく怒ったことのない禅師にその理由を訊ねると 、頭に来ることがあったらおなかで呼吸をしながら 、 「ありがとさん 、ありがとさん 、ありがとさん 」と三回くり返しているのだと教えてくれたのです 。

 

くり返すうちに 、言おうと思った言葉も引っ込んでしまうのだそうです 。 「ちょっと待て 」 「大丈夫 」 「我慢 」 … … 。くり返す言葉は何でもいい 。おなかで呼吸をして 、頭に怒りを上げないことが大切なのです 。

 

一度口を出た言葉は 、取り戻すことができません 。

 

ほんの少しの 「間 」が 、取れるかどうか 。あなたが怒りから自由になれるかどうかのポイントは 、まずそこにあります 。

 

 

私自身にとっての今の大きな課題の1つである、「子どもに対して怒ることをやめる」ヒントを得たいと思って読みました。

 

子供が高いところにあるものを取ろうとするなど、何か危ないことをしている時や、ティッシュを箱から全部出してびりびりに引き裂いてしまうなどのいたずらをしていた時に、大声で怒ってしまうことがあります。

 

本当に危ない時は除き、そうでない場合はもう少し穏やかに注意しても良かったのではないかと、後でかなり自己嫌悪に陥ってしまいます。言葉もまだ完全に理解していないような子供に対して理不尽に怒るのは自分自身が人間として幼稚な証拠ではないかと。

 

声を荒らげる前に「一呼吸」置く。そして深呼吸する。心を鎮めるための言葉を唱える。対策はこれだけです。

 

1番のポイントであり、難しいと考えられるのは最初の「一呼吸」置く、というところでしょう。怒りは瞬間的に発生してしまうように感じますし、そこから声に出してしまうまでも、ごく僅かな時間なように思います。

 

ただ、その僅かな時間を「意識して広げてみる」ことが大切なのだと思います。

 

私はまだ瞬間的に発生した怒りを次の瞬間には手放す段階にまでは至っていませんが、上記の対策を意識するようになって、子どもに声を上げている途中からトーンダウンしていくようにはなってきました。

 

「あれ?今、自分は怒ってしまっているな」と、子どもに対して怒っている自分を端から見つめるもう1人の自分が登場したのです。

 

「今、怒ってるよ」と教えてくれるもう1人の自分が意識されることで、自分の怒りが急速に冷却されていくのを実感しました。おそらく、子どものいたずらなど、何かの出来事が発生してから自分が怒りを感じるまでに、ごく僅かではありますが、「間」を置くことができるようになってきたのだと思います。

 

ネガティブな感情は引きずってしまいやすいですし、頭の中のメモリの結構大きな領域を占領してしまいます。そしてその間、他のことを考えたり行ったりする余裕がなくなってしまいます。

 

だからこそ、怒りなどのネガティブな感情はできるだけ早く手放すこと。それができるようになるために、訓練していくことは、今後の人生をより楽しく生きるためにとても価値のあることだと思いました。

 

この方法は、子どもに対してだけでなく、仕事上の人間関係や、自分自信に対する怒りや苛立ちなど、日々の様々な状況で練習が可能です。

 

決して、怒りを感じないようになるわけではないけれども、その怒りにとらわれない、怒りを手なずけられる人間を目指していきたいと思います。