読んだ内容を消化するためには? 読書日記『読書について 他二篇』ショウペンハウエル 著①
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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今日の読書日記は『読書について 他二篇』から読書する際に気をつけておきたいことについて。
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。
精神も、他人の思想によって絶えず圧迫されると、弾力を失う。食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も、とりすぎればやはり、過剰による精神の窒息死を招きかねない。多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。
したがって読まれたものは反芻(はんすう)され熟慮されるまでに至らない。だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。
食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。
しかし、一般に精神的食物も、普通の食物と変わりはなく、摂取した量の五十分の一も栄養となればせいぜいで、残りは蒸発作用、呼吸作用その他によって消え失せる。
紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
ビジネス書はもちろんですが、少しずつ教養書についてもブログで取り上げていきたいと思います。
本を読んでも自分で考えることにはならない。ただ、他人の思考の過程をなぞっているだけである。多読すればするほど、ものを考える力を失っていく、という主張にははっとさせられます。
「量は質に転化する」というのは私の好きな言葉の一つでもあるのですが、やはり、食物と同様、本も大量に「摂取」するだけではだめで、しっかりと「消化吸収」してやる必要があるということです。読むことが「摂取」にあたり、「消化吸収」は反芻して熟慮することにあたります。
しっかり本を「消化吸収」するためには、考える必要がある。では考えるためにはどうすればよいか。これはやはり、本を読んで考えたことをノートにでもブログにでも「書き出してみる」ことが良いのではないかと思います。
小学生の時だったか中学生の時だったか忘れましたが、読書感想文などが書けなくて困っている時に、国語の先生が「とにかく書き出してみる」ことを勧められていたことを思い出します。「こんなテーマで書けない」と思っても、とにかく書き出してみることで思考が進んでいくからです。
頭の中で考えていると、思考は同じところをただぐるぐると回り続けるだけで、そこから先に進めなくなってしまうことがあります。
「ここまでは考えた」、という思考の過程を記述していくことで、その先の段階に思考を進めていくことができるのです。同時に、考えている最中に何か他の用事が入って思考が中断されたとしても、思考の過程が記述された紙を読むことで、再びその時点から思考を再開することができます。頭の中で考えているだけではこれが難しいと思います。
しかしながら、熟考したとしても本1冊の内容を丸々覚えておくことは不可能で、消化吸収して自分のものとできるのは、せいぜい50分の1ほどだと述べられています。
これをネガティブにとらえるかポジティブにとらえるかは意見の分かれるところかもしれません。私は、50分の1でも拾えるなら拾ってしっかり咀嚼して、自分の血肉としていきたいと考えます。
私は本を読んだ時に内容の要約はあまり行いません。要約すると後で見返すときにとても役立つのですが、いかんせん、時間がかかりすぎるからです。従って、「ここは覚えておきたい」とか「はっとさせられた」という箇所をいくつかメモに抜き書きして、その文章から「触発された」感想なり、自分の考えなりを書くようにしています。
それでは、メモに書いた内容については逐一覚えているのかと問われると、結局忘れてしまっています。
ただ、それでも良いと思うのは、その時読んで考えたことは、このブログを見れば「いつでも思い出せる」ようになっているからです。だから「安心して忘れられる」ということがあります。
そして「安心して忘れていける」からこそ、次に読んだ本の内容を、一時的にでも脳内に格納できる余裕が生まれるのだと思います。読んだ内容の何もかもを覚えていることは不可能ですし、脳がパンクしてしまうでしょう。
その時を過ぎれば、「忘れてしまう」ことであったとしても、「自分の頭の中を他人の思考の運動場にさせない」ためには、やはり一冊一冊、読んだ本について気になった文章を反芻しつつ、しっかりとそれに対する自分の考えを書き記していくことが必要なのだと思います。
自分の頭の中の運動場を著者と自分とで「専攻、後攻」に分かれて「交互に使う」ということです。著者が走り回った運動場を整備して、また荒らされて、また整備して、また荒らされて、またまた整備して、と繰り返していくと、次第にどんな状況のグラウンドからでも、自分が走りやすい固さの地面を作り上げることができる柔軟性、広い振れ幅が身につけられるのではないかと思います。
それはどんな本からでも自分にとっての教訓を抽出して、自分の言葉で思考を深め、行動につなげる、ということでもあります。
本書の中では、読書によって「自発的活動を促される」という記述があります。小説などの娯楽目的の読書を除き、結局は、読んだ本に促されて、自発的に活動できるようになることこそが読書の目的であると思うのです。
〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい
・教養書を自分の読書に取り入れていくこと
・先人の読書に対する認識を学ぶこと
2. 読んでよかったこと、感じたこと
・読んでばかりで他人に思考を支配されないよう、
気を付けたいと思った
3. この本を読んで、自分は今から何をするか
・読書の都度、反芻と熟考を繰り返し、
少しでもその本の内容を消化吸収していく
4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか
・教養書の読書から自分の新しい視野が広がっていくのが
実感できるようになっている
・興味の対象となる分野が今以上に広がっていく
・教養書の内容を咀嚼することに慣れている
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