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読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

目的にとらわれない読書の効用は? 読書日記『どんな本でも大量に読める「速読」の本』宇都出雅巳 著①

 

 

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

 

 


今日の読書日記は『どんな本でも大量に読める「速読」の本』から、目的にとらわれない読書の効用について。

 

 

読書に終わりはないと考えてもいいと思います。短時間で読み終えて何も残らなかった本より、読み終えたあとも長く引っかかっている本の方が、絶対に私たちの糧となるからです。本とは、そういう長いつき合いを心がけたいものです。

 

自分が持っている視点を手放し 、新たな視点を手に入れると 、最初に本を読む目的そのものが変わってしまうこともあります 。

 

実は最初に設定した目的を達成することよりも 、その目的自体が変化するような思ってもみなかったことが起こることにこそ 、読書の面白さがあります 。

 

辞書や事典を調べるように 、自分の知りたいことをとにかく知るためではなく 、その本を読んで何が起こるか 、何が得られるのかわからないからこそ 、本を読むという世界もあるわけです 。そして 、それこそが結果的に自分を変革させ 、大きなリタ ーンにつながる可能性があるのです 。

 

松岡正剛氏は 、これを 「本に攫われたい 」という言葉で表現しています 。

 

「これは 、いわば 『本に攫われたい 』ということなんです 。 『異人さんに連れ去られたい 』ということなんですよ 。そういうことがないと 、読書は平坦なものになりすぎる 。このことはいくら強調しても強調しすぎることはありません 。私たちは本に攫われていいんですよ 。それでしばらく行方不明になってもいいんです 。捜索依頼が出たら 、本望です (笑 ) 」 ( 『多読術 』ちくまプリマ ー新書 )

 

また、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏はその著書『街場の教育論』(ミシマ社)で「読書」そのものではありませんが、「学び」を「巻き込まれる」という言葉で表現しています。

 

「『学び』というのは自分には理解できない『高み』にいる人に呼び寄せられて、その人がしている『ゲーム』に巻き込まれるというかたちで進行します。この『巻き込まれ』(involvement)が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の『ものさし』ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければいけません。自分の『ものさし』を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない」

 

内田氏のいう「ものさし」とは、本を読む前に持っている本を読む「目的」とも言えるでしょう。

 

ある意味、「目的」を手放すために読書は行われるともいえるのです。

 

こう考えれば、検索速読で最初に設定した目的にこだわることのもったいなさがさらにわかってもらえるでしょう。

 

 

この本は、タイトル通り速読法の本であり、私もその方法を学ぶことを目的として読みました。その方法はもちろん参考になりましたし、これから実践していこうと思います。ですが、本題の趣旨から少し横道に入ったこの部分が1番面白かったので、ご紹介させて頂きました。 

 

著者は目的の箇所だけを読む、いわゆる「拾い読み」、「検索読み」には否定的な立場を取られているようです。

 

ノウハウだけを本からピックアップしても、そのノウハウに到る経緯や思想などを理解していないと、本当の意味で腹落ちしていないため、完全に自分のものにすることはできない、というのがその理由です。

 

また、2つ目の理由として、本の中の思わぬところで、思わぬ気づきを得られることを挙げられています。それが、上記の引用箇所です。

 

ここで紹介されているお二人の方がそれぞれ、「攫われる」、「巻き込まれる」と表現されていますが、これらの言葉は自分の意志とは無関係に発生する、コントロールのできない事象です。

 

一方で、目的を決めて本を読むことは、これと反対に自分でコントロールできる事象です。

 

自分の持つ「価値判断の基準」に従って、目的を決めて読む限り、本の中の自分の「意に沿った」文章しか読めませんから、その価値判断基準が大きく広がることはありません。

 

そのことに著者は警鐘を鳴らしてくれているのです。

 

他方、目的にとらわれない、目的を手放す読書では、思いもかけぬところで、目から鱗が落ちるような気づきを得られることがあります。

 

その時が、自分の「ものさし」が最早使い物にならなくなったことを悟り、新しくてほんの少しだけ長い新たな「ものさし」を手に入れた時です。

 

人間としての成長度合いを考えるならば、当然「ものさし」は長い方が良いでしょう。そしてこれを伸ばすためには、こちらから「狙い撃ち」するのではなくて、「流れ弾に当たりに行く」のが、遠回りなように思えて、実は近道なのかもしれません。

 

今回引用した箇所が書いてあったのは、そのものズバリの速読のテクニックが説明されている章とは別の章でした。

 

もし、私が当初の目的通り、速読のテクニックの書かれた章だけしか読んでいなかったら、今回引用させて頂いた箇所には出会えなかったわけです。

 

そうすると必然的に、ここに書いてきたような気づきも得られず、目的にこだわった読書を続けることになっていたと思います。

 

一見すると、成長を目指しているように見えて、でも実は、既存の自分の「ものさし」で測れる範囲のことしか視界に入らず、これからもその「ものさし」で測れないものは、注意してみることがなかっただろうということです。

 

たまたま、非常に読みやすく、楽に読める本だったので、最初から最後まで読み通しましたが、そうしなかったら、今回のように自分の「ものさし」を「少し長くする」こともできなかったと思います。

 

まさしく、「たまたま」の偶然の読書の中に思いがけない新たな気づきとの出会いがありました。

 

さて、そうなると困ることが起こります。元々、効率的に読書をしたくて、読む目的にフォーカスした読書を行っていました。

 

しかし、今回学んだことによると、自分を成長させるのに役立つ読書は、むしろ「目的を手放した」読書の方だということです。

 

そして、このような読書は目的にフォーカスした読書よりも多くの時間がかかってしまいます。

 

読書による学びから成長したい。それには、「拾い読み」よりも「本全体」に目を通して「偶然の出会い」を期待した方が良い。でも、読むスピードは速くしたい。ここにジレンマが発生します。

 

どこで折り合いをつけるべきか、私には今の時点では結論が出ていません。

 

ただ、色々と本を読んでみて一つだけ言えることは、本には「気配」があるということです。

 

どういうことかというと、「全部目を通す」べきか、欲しいところだけ「狙い撃ち」すべきかは、少し読んでみるだけで「察する」ことができるということです。長くても20-30pも読めば、「これはもっとちゃんと読まなくてはいけない」、あるいは、「ざっくりと読めばいいかな」という判断はできるということです。

 

もちろんこの感覚は人によって違うと思います。私が「戦慄を覚える」ような本であっても、他の人にとっては、「なんてことない」ということもあるでしょうし、その逆もまた然りでしょう。

 

本を読み続ける中で、そのような「センス」を養っていくことができると思うのです。

 

そうすれば、成長に必要な、自分の「ものさし」の長さを超える本は全体を通して読み、自分の「ものさし」で測ることのできる本はざっくりと、読み分けることが可能になるでしょう。そして、全体的な読書スピードも上がってくるのではないかと考えます。

 

願わくば、私も「攫われて」、「巻き込まれる」ような本にたくさん遭遇して、自分の枠を粉々にぶち壊していきたいと思っています。

 

その確率を上げるためには、今以上に多読していくしかないんですよね。 そして、自分にとって読みやすい本ばかりでなく、読むのが難しい本に挑戦していくことも必要になってきます。

 

道のりはまだまだ長いです。

 

 

〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・本を効率良く速読するための方法を学ぶ 


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・ストックを重視した速読の方法を学ぶことができた

 

・自分の「物差し」を伸ばすための読書の方法について

 学ぶことができた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・この本に書かれている「高速大量回転」の読書法を

 早速次に読む本から試していく

 

・「ざっくり読む」本と「ちゃんと読む」本を判断するためのセンスを磨く


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・高速大量回転の読書法を修得して、今よりも

 読書のスピード早くなっている

 

・多数の本に攫われて行方不明になり、その結果として

 自分の「ものさし」の長さが倍以上になっている

 

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