半歩先の未来を創るには? 読書日記『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』小林敬幸 著①
今日の読書日記は『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』から、半歩先の未来を創ることについて。
時代の半歩先を進めば成功するが 、一歩先を進むと実社会では失敗します 。時代の流れに乗っていなければ 、画期的なこともできません 。
一方で 、先進的すぎても 、世の中に受け入れられず成功することはできません 。いわば 、時代の半歩先を進むような企画が現実世界では成功するのです 。
俗世のほとんどの仕事においては 、現世の実践において成功しなければ無意味であり 、記憶にも記録にも残らず 、将来においても高い評価を受けることはありません 。
従って 、今の世の中全般と自分のアイデアとの距離感を正確につかみ 、時代の半歩先の距離感を保ちながら実行していかなければ 、なかなか成功できないのです 。
時代の半歩先のアイデアを思いつくには 、 「大過去 ×未来 」で考えることが一つのヒントになります 。
創造的であろうとして 、未来とその先の未来を想像して考えても 、どんどん荒唐無稽になっていくだけです 。それよりも 、ずっと昔のことと 、未来に起こることをかけあわせることで 、半歩先のアイデアを得るのです 。
例えば 、 「つぶやき 」という太古の人類からしていたものとインタ ーネットを組み合わせたのがツイッタ ーです 。生命保険が最初にできたときの特約無し掛け捨てのシンプルな生命保険とネットをかけあわせたのが 、ライフネット生命でした 。
二世代以上昔のものと 、未来に起こるものとを組み合わせると 、時代の半歩先を行く実り多いアイデアが出てくることが多いのです 。
また 、いささか高等戦術めきますが 、一歩先の行く末を見通して方向を定めた上で 、わざと機能や仕様を落としてみるのもヒントになります 。
ツイッタ ーは 、一回の書き込みの字数をあえて制限して一四〇字にしたことで普及しました 。また 、フェイスブックも 、世界中の誰にでも情報発信できるブログと違って 、見たり書き込んだりする相手を知り合いに限定できるのが利点です 。
このように 、より速く 、より大量に 、より最先端の技術をという視点から 、半歩下がってわざと少し機能を落とすと 、意外と人間にとっては 、使い勝手がいいことが多いのです 。そしてそのほうが実行においても成功します 。それは 、ちょうど 、時代の半歩先を進んでいることになるからでしょう
過去の中に未来を創るヒントがある。まさしく「温故知新」の考え方だと思いました。
そして何故、二世代以上前の昔を参照するのかというと、祖父母の代まで遡ると、その頃の祖父母の知識・経験は今の孫の世代までは正確には伝えられていないことが多いためだと思います。
どういうことかというと、両親の世代の話なら両親から直接聞くこともあるでしょうし、メディアで取り上げられることもよくあります。
しかし、それが祖父母の代に一世代シフトするだけで、祖父母の体験を直接聞いたり、メディアを通してその時代の情報に触れる機会も一気に少なくなると思います。
すると、二世代以上前の記憶や教訓は正しく伝承されなくなります。
そうなると孫の世代にとっては、祖父母よりも昔の時代の環境や出来事は「新鮮な」驚きを持って迎えられるのです。ですから、二世代以上遡ることがポイントなのだと思います。
記憶や教訓が伝承されないことが、半歩先の未来を創るためのチャンスになる一方で、問題となることもあります。
災害の教訓が活かされなかったり、経済危機や戦争が繰り返されるということです。これらが発生するのは二世代以上前の教訓が、正しく伝播していなかったためとする考え方があります。
「人は過ちを繰り返すもの」、なんて悟ったように言ったところで利益はありません。過ちを繰り返さないためにも、未来へのヒントを見つけるためにも、謙虚に自分の知らない過去と、歴史と向き合っていく必要があると思います。
技術の世界では、今後の技術の進歩を予測したロードマップというものを作り、それに合わせて研究や製品開発を推進していきます。
ですが、そのような未来予測に基づいて生まれた製品であっても、時代に対して先走りし過ぎていたり、あるいは逆に、技術的な壁を乗り越えるタイミングが目論見よりも遅くなってしまい、チャンスを逃してしまうということも頻繁に起こります。
そのどちらに対しても、「機能制限」という作戦は有効な手段となるかもしれないと思いました。
「あれもできます、これもできます」とあまりに多機能、高性能過ぎると、ユーザー側は使い方に迷ってしまいます。
一方で「あれはできません。でもこれだけは抜群にできます」と、特定の用途に対して強みを発揮できると、その分、印象にも残りやすく、特定の範囲のニッチな需要に応えることができます。
そして、「何でもできる」ということの中には、何をしたらよいか分からないという「不自由」が生じる点にも気をつけたいところです。
これは裏を返すと、「これしかできない」という「制限・ルール」のある中にはユーザーが使い方を考えることができるという「自由」が生まれる、ということです。
製品ではありませんが、この例として分かりやすいのは俳句です。俳句は、五・七・五、というわずか十七文字の中に、文字数の制限がない場合には表現できないくらいの感動を圧縮して伝えているのです。
ただ「十七文字(と、季語)」というルールだけに則って、「自由に」自分を取り巻く環境と、それに触れた時のみずみずしい心の動きを表現することができます。
このことを参考にすると、製品の供給者側としては、ユーザー自身がその製品の使い方を発展させてくれることを期待して、敢えて本質的な機能に絞り込む、それにより半歩先の未来を提案する、という考え方が、商品開発の一つの方法としてあり得るのではないでしょうか。電話とメールしかできない携帯電話など、すでにこういった事例は世の中には多く存在しているようです。
「制限・制約」の中に「自由」と「発展性」が生まれるという視点は、今後も思い返すようにしたいと思いました。
〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい
・情報の取り扱い方を学ぶ
2. 読んでよかったこと、感じたこと
・いわゆる教養が、情報を取り扱う上で役立つ
ことが理解できた
・情報収集と分析、表現と実行、未来予測の
方法とヒントを学んだ
3. この本を読んで、自分は今から何をするか
・「大過去 × 未来」の組み合わせを考えてみる
・紹介されている教養書を読んでみる
・情報収集と分析を自分でも行ってみる
4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか
・ある一つの分野について、過去からの
歴史の流れと、体系だった理解を得る
それにより、将来の方向性がうっすらとでも
見通すことができるようになっている
・情報の取り扱い方に今よりも習熟して
学んだ教養を仕事にもプライベートにも
活用できるようになっている
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