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読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

未熟であるとはどういうことか? 読書日記『自分の中に毒を持てーあなたは"常識人間"を捨てられるか』岡本太郎 著①

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 

今日の読書日記は、『自分の中に毒を持てーあなたは"常識人間"を捨てられるか』から、未熟であり続けるということについて。

 

 

自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれてひっこんでしまうなんて、よくない。

 

それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。

 

ぼくにいわせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性をもっている。

 

熟したものは逆に無抵抗なものだ。そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけないが、それだけに闘う力というものをもっている。

 

人間はマイナスの面のほうも多くもっている。マイナスの面があればあるほど逆にファイトを燃やして、目の前の壁と、面と向かって対決するわけだ。

 

自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。そういうのは未熟のまま、だらしなく熟したことになってしまうのだ。

 

未熟を決意するのは、素晴らしいことだ。これはいろいろなケースにあてはめられる。たとえば空を翔ぶ鳥をみて、自分は鳥のように自由に空は翔べないと思う。また花盛りの木をみても、自分はあの花のようにまだひらいていないと思う。そこから新たなファイトがわき起こってくる。

 

未熟ということをプラスの面に突き上げることが人間的であり、素晴らしいことだと思わなければいけない。

 

よく世間一般では完成された人は素晴らしいというが、この世の中には、完成なんてことは存在しないんだ。完成なんてことは他人が勝手にそう思うだけだ。世の中を支配している"基準"という、意味のない目安で他人が勝手に判断しているだけだ。

 

ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。

 

熟すということは、技能や熟練とは関係がないというのがぼくの信念だ。芸術は勿論、スポーツも歌も会話もすべて、下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか。そう思って平気でやればいい。

 

自己嫌悪なんて、いい加減のところで自分を甘やかしていないで、もっと徹底的に自分と闘ってみよう。すると、もりもりっとファイトがおこってきて、己自身を乗り越えてしまうし、自己嫌悪なんかふっとんでしまう。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. 未熟であることを善とする

2. 自己嫌悪を悪とする

3. まとめ

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1. 未熟であることを善とする

 

芸術は爆発だ」の言葉や、大阪の万博記念公園にある「太陽の塔」などで知られる芸術家岡本太郎の考えが述べられたものです。ひとつひとつの言葉に込められた凄まじいエネルギーをひしひしと感じます。

 

自分は未熟な人間だと、落ち込んでしまうことを著者は否定しています。むしろ未熟だからこそ膨れ上がる可能性があり、そこから闘志が湧いてくるものであると。

 

未熟であるということは、「伸びしろ」があるということ。これは、なんとも嬉しいことではないかと思いました。つまり自分はもっともっと成長できるということです。著者のいう「ファイト」でも構わないのですが、「期待感」や「希望」という言葉でも説明できます。

 

空を翔ぶ鳥、満開の花。これから満月に向かう上弦の月。そういった神羅万象に触れて、「自分が未熟である」ことの喜びを噛み締める。「完成することはない」ということは、生きている限りずっと、自己成長を問い続けていくことができるということです。

 

その戦いは自分との闘いです。何かの分野についての知識を深く知れば知るほど、技術を身につければ身につけるほど、逆に知らないこと、分からないことを新たに発見することになります。

 

それでも未熟さ故の闘いを続けることで、限りなく限りなく目指す状態に近づいていくことができるでしょう。

 

今の自分は、そしてこれから先の自分も「未熟である」ということを善とした上で、今よりも前に進むための闘いを続けていくのです。

 

2. 自己嫌悪を悪とする

 

自分との闘いを続ける上で、未熟であることをネガティブにとらえることを否定するのと同様に、「自己嫌悪に浸る状態」も著者は気持ちいいくらいばっさりと切り捨てています。

 

例えば仕事で何か大きな失敗をしてしまったときなどに、ひどく落ち込んでしまうこともあるでしょう。

 

「どうして、あんなミスをしてしまったのか」「こうしていれば、もっとうまくできたのではないか」と自分を責め続けて、動けなくなってしまうこともあるでしょう。

 

著者に言わせれば、「自己嫌悪は甘え」。そんな気分に浸っている暇があったら自分と闘え、と主張されています。

 

仕事において後で自己嫌悪するほどの大失敗は、同時に大きな学びと成長の機会にも成り得ます。

 

失敗したり何かのトラブルといった悪いことも、そしてもちろん良いことも、自分の身の回りに起こる全ての事象は「自分の学びのチャンス」ととらえるのです。

 

「仕事でやらかした!」→「この大失敗から自分は何を学びとるべきか?」

 

落ち込むことがあったとしても、この姿勢にできるだけ早いタイミングで切り替えていくことです。

 

「全ては未熟な自分を成長させる糧」と考えれば、止まっている時間なんてありません。何事も貪欲に食らいつくしてやるのです。

 

そうすれば自己嫌悪にとどまっていることがいかに中途半端な状態なのか分かってくる。そういうことなのではないかと思います。

 

 

破天荒と言われていた著者の感性から発信された言葉は、私たちのとらわれがちなネガティブな思考を覆し、世間一般で言うところの理想や成功に冷や水を浴びせかけます。

 

自分が知らないうちに、どれだけ「固定観念」や「常識」に塗り固められてしまっていたのか、そういったことにまた気づかせてもらうことができました。

 

 

3. まとめ

 

・未熟を決意することは素晴らしいこと 

・自己嫌悪は中途半端な甘え

・成功も失敗も、未熟な自分を成長させてくれる糧となる

 

 


〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・自分にない視点を取り入れて自分の枠を壊す


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・強烈な言葉にあてられて打ちのめされることができた

 

・自分が如何に甘えた、覚悟の足りない人間であるかを

 知ることができた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・一生、未熟であり続けるとともに、学び続ける

 

・全ての出来事から、貪欲に学びを吸収する


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・今に比べて成長を感じるとともに、謙虚になっていく

 

・自己嫌悪に浸る時間が圧倒的に少なくなっている


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