読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

人工知能は「現象」と「感情」をどうとらえるのか? 読書日記『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾豊 著①

 

 

 

今日の読書日記は『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』から、人工知能と人間の認識の違いについて。

 

 

人工知能が発展すると、人間と同じような概念を持ち、人間と同じような思考をし、人間と同じような自我や欲望を持つと考えられがちだが、実際はそうではない。

 

まず、人間が「知識」として教えるのではなく、コンピュータが自ら特徴量や概念を獲得するディープラーニングでは、コンピュータがつくり出した「概念」が、実は、人間が持っていた「概念」とは違うというケースが起こりうる。

 

人間がネコを認識するときに「目や耳の形」「ひげ」「全体の形状」「鳴き声」「毛の模様」「肉球のやわらかさ」などを「特徴量」として使っていたとしても、コンピュータはまったく別の「特徴量」からネコという概念をつかまえるかもしれない。

 

人間がまだ言語化していない、あるいは認識していない「特徴量」をもってネコを見分ける人工知能があったとしても、それはそれでかまわない、というのが私の立場だ。

 

 

もう1つ重要なのが、「本能」だ。本能といっても、脳に関することであり、要は何を「快」あるいは「不快」と感じるかということである。

 

 

人間の場合、生物であるから基本的に、生存(あるいは種の保存)に有利な行動は「快」となるようになっており、逆に生存の確率を低くするような行動は「不快」となるようにできている。

 

こうした本能に直結するような概念をコンピュータが獲得することは難しい。たとえば「きれい」という概念は、おそらく、長い進化の中でつくり上げられた本能と密接に関連している。美しい異性を見て「きれい」と感じるだけでなく、景色を見て「きれい」とか、動きを見て「きれい」と感じるのはなぜだろうか。

 

 

一方、「危ない」というのはわかりやすく、身体に物理的な損傷のリスクが迫っていると「危ない」と感じる。そのため、コンピュータにとっての「危ない」は人間と異なる概念になるかもしれない。

 

こうした「本能」に由来することは、基本的には、進化を経て生み出されるものであり、個体の一生のうちに発現し、発展する知能とは異なる。

 

 

ドラえもんのように、人間と人工知能がまったく齟齬(そご)なくコミュニケーションできるような世界をつくるのは、実際にはかなり難しい。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. 現象の捉え方の違い

2. 湧き起こる感情は再現できるのか

3. まとめ

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1. 現象の捉え方の違い

 

数か月前に囲碁で世界最強と言われるプロ棋士が、人工知能によるコンピュータと5回勝負して1勝4敗であったというニュースがありました。

 

そういったこともあり、今後人工知能はどこまで賢くなり、人間の思考を超えていくのか、それを人間はどのように活用していけば良いのかに興味が湧いてきました。私はエンジニアですが、ソフト系ではないのでプログラミングなどは大学の授業で軽く触った程度でほぼ分かりません。ですが人工知能に関するベースとなる知識や今後のトレンドなどを把握しておきたくて、本書を手に取りました。

 

 

コンピュータが現象を把握する時も人間と同じように把握するものだという先入観が私の中にはありました。「今日は空が青い。晴れている。」とか「バイクの走る音が聞こえる」とか「駅前の牛丼屋さんから美味しそうな匂いが漂ってくる」とか。視覚や聴覚、触覚など五感で感じ取る情報から自分を取り巻く状況を把握する。これが人間です。

 

人工知能の場合も、目や耳の代わりにセンサーを使ってこれらの情報を把握する、というのは変わらないでしょう。人間の場合「なんとなく空が明るくなってきたから夜が明けたのかな」とか、「遠くで誰かが話している声が聞こえた気がする」とか「なんだか美味しそうな匂いがする」というかなりアバウト、つまりアナログな情報で状況判断をしています。もちろん「今は午前5時、気温は27℃」のように利便性のため、デジタルな情報を用いることもありますが。

 

人工知能(コンピュータ)の場合は、全ての情報は0と1の数値で表されたデジタルの情報を取り扱います。「現在の空の輝度は〇〇cd(カンデラ)であって、この部屋の明るさは△△lx(ルクス)あるので朝が訪れました」とか、「20メートル遠方から◇◇dB(デシベル)の大きさ、周波数は▽▽Hz(ヘルツ)の声がしています」とか「ゴミ箱から臭気指数▲▲の悪臭がします」など、人間の五感に相当する情報はセンサーを通して全て「数値化」されて処理されます。

 

このコンピュータの「数値化される」という能力の強みは、人間では察知できないレベルの「精度」で検出できるということです。

 

すると人間では分類不可能なレベルまで、現象を細かく切り分けて分類することが可能であるということになります。

 

引用箇所に登場した「猫」という生き物について人間が認識する時には、見た目や毛並みの手触り、鳴き声などからそれが「猫」であると私たちは判断しています。

 

でもコンピュータの場合は将来的にははあまり人間が使わない特徴を見出してその特徴に基づいてそれが「猫」であることを認識することができるようになるのかもしれません。例えば「舌のザラザラ感の動摩擦係数が〇〇~△△の間であれば、その生き物は猫である」など。

 

 

2. 湧き起こる感情は再現できるのか

 

その一方で、数値化しにくい人間の感情のようなアナログな情報を取り扱うことはコンピュータでは難しいのではないかとも思います。人間の表情、つまり眉の形や口角の上がり方、目の開き方などを読み取って数値化して、その人の感情を推測するようなことはすでに行なわれていたと思います。

 

ただ、表情は人間の感情が顔に出力された結果です。そうではない内面的な感情は取り扱えるのでしょうか。例えば、美しい夕焼けなどを見た時に人間の内側に起こる静かな感動、表情や動作などに現れないような自然発生的な感情、心象風景とでも呼ぶべきもの。こういったものは出力がない以上、読み取ることも、再現することもできないのではないかと思います。夕日がさしていることを数値情報として判定して、それに付随して、「夕日がきれいですね」などと音声で出力するようにプログラミングすることはできると思いますが。

 

しかしながら将来、人間が1人1台のパーソナルアシスタントとなるような人工知能を持つ時代が来たとします。その時、ある人をサポートする人工知能は「この人はこういう状況では「喜び(快を感じて)」、こういう状況では「怒る(不快を感じる)」のだ」などと「学習」していって、状況に応じた適切な「共感の表現を行う」ことができるようになるでしょう。

 

「状況に応じた共感の表現が行える」ということは、人口知能自身も、ある意味、過去の経験を通して人間のような自然発生的な感情を身につけた、と言えなくもない気がします。

 

もちろんそれでも人間にとっての「快」「不快」と機械のそれとは違うという問題は依然として残っているのですが、その時、人間と機械の境目はあまり関係がなくなっているかもしれません。

 

3. まとめ

 

人工知能は数値化することで人間では不可能なレベルまで

 現象を切り分けて分類することができる

 

 ・自然発生的な感情の取り扱いは人口知能には難しい

    ただし、一個人の人間ととともに体験を共有させて経験学習させることで

 それも可能になっていくのではないか

 

人工知能が「状況に応じた共感の表現が行える」

 ようになると人間と機械の境界線があいまいになる

 


〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・今後の社会に大きな影響を及ぼすと考えられる

 人工知能について勉強する


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

人工知能の研究に関する歴史的な経緯から現在の到達点、

 未来の予測まで、概要を掴むことができた。

 


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・書籍やニュースから人工知能に関する勉強を続ける

 

人工知能とそれによる未来の変化について人との意見交換を行う


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

人工知能に関して、ある程度の知識を得ている

 

・人口知能を学ぶことで「人間」、「脳」、「心」、

 さらにそのほかの問題まで幅広く考えることができるように

 なっている


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