議論が平行線になった時には? 読書日記『具体と抽象』細谷功 著
今日の読書日記は、『具体と抽象』から、表層と本質について。
「顧客の言うことを聞いていては良いものはできない」
に対して、
「顧客の声が新製品開発のすべての出発点である」
「リーダーたるもの、言うことがぶれてはいけない」
に対して、
「リーダーは臨機応変に対応すべし」
「長年の伝統は守るべし」
に対して、
「変化しないものは生き残れない」
「具体と抽象 」というのは 、 「目に見えるもの (こと )と目に見えないもの (こと ) 」 「表層的事象と本質 」といった言葉にも置き換えられます 。
「抽象度のレベル 」が合っていない状態で議論している (ことに両者が気づいていない )ために 、かみ合わない議論が後を絶たないのです 。
「顧客の意見は聞くな ! 」は 、革新的な製品を生み出し続ける会社で聞かれる意見です 。顧客の大多数は 、製品の目に見える具体的な現象面しか見ておらず 、それをクレームや改善要望として言ってきます 。
ここでいう 「顧客の意見 」とは 、このような具体的な顧客の声を指します 。基本的に大多数の顧客は 「いまあるものの改善 」という 、具体的なレベルの要望しか上げてきませんから 、これに右往左往するということは本質的な解決にはつながりません 。
では、このような会社には売れる商品が作れないかと言えば逆です。
顧客を無視して売れる商品が作れるわけはありませんから、このようなヒット商品は「顧客の心の声」を先読みした結果であると考えられます。
「抽象度の高い」レベルでの顧客の声を反映した結果です。
冒頭の他の二つの例も具体と抽象を切り分けることで、論点の相違が見えてきます。
「リーダーの意見」や「伝統」は、簡単に変えるべきでないという考え方は、「哲学」や「基本方針」のような抽象レベルの高いものです。
一方で、それを具体的に実現させる手段は、環境変化に応じて臨機応変に変える必要があるのは必然的な流れと言えます。
世の「永遠の議論」の大部分は、「どのレベルの話をしているのか」という視点が抜け落ちたままで進むため、永遠にかみ合わないことが多いのです。
「変えるべきこと」と「変えざるべきこと」の線引きを抽象度に応じて切り分けることで論点が明確になります。
製品でも会社でも社会一般でも、「不連続な変革期」においては、抽象度の高いレベルの議論が求められ、「連続的な安定期」には逆に、具体性の高い議論が必要になります。
〈今日のコンテンツ〉
ーーーーーーーーーーーーーーーー
1. 平行線の議論
2. 見ているのは表層か?内側か?
3. まとめ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
1. 平行線の議論
最近の世の中では「分かりやすさ」が重視される一方で、「分かりにくい」物事は避けられる傾向があります。
私は本が好きなので、よく本屋に行くのですが、大きな書店などに行って感じるのは、私が大学生の時代の数学や物理学の教科書や参考書に比べて、今はずいぶん読みやすい、分かりやすい教科書や参考書が増えたなぁ、ということです。
私が大学生の時代に、もしこの本があったなら、もっと楽に単位が取れたに違いないと思うような、素晴らしくかみ砕いて書かれた本に出会うこともあります。
そう思いながらも、実家を訪れた時に父の書斎の本棚を見ると、私がさっぱり理解できないような難しい数学や物理学の専門書籍が今でも並んでいます。
私の父から言わせると、父が大学生の時代には「それしかなかった」ということで、その難しい教科書を理解するために必死に勉強していたそうです。
父は理学部の出身であったため、私が大学生の時代には父から数学や物理学を教わることがありました。父からすると、私が「良く分からない」と思いながら使っていた教科書なども、「ずいぶん簡単に書かれている」と感じていたようです。
上記は私の身近な例ですが、時代の流れとともに、「分かりやすいこと」、「具体的であること」がどんどんもてはやされるようになり、その一方で、「理解に労力をようすること」、「抽象的なこと」は遠ざけられている傾向があるのではないかと思います。
本書はそのような最近の「分かりにくいこと」、つまり「抽象度が高い」ことを考える力を取り戻すことを推奨しており、そのための、抽象的な思考を行うためのヒントが多数紹介されています。
今回引用した部分は、いわゆる「平行線の議論」、どちらの主張もそれなりに「一理ある」と思える議論についての「新たな視点」を提供してくれています。
例えば、
「長年の伝統は守るべし」と「変化しないものは生き残れない」
を見てみましょう。これらは「どちらも正論」に聞こえますし、おそらくその根拠となる理由を聞いたとしても、「確かにその通り」と頷けるものばかりになるのではないかと思います。
もしその会社が江戸時代に創業したような老舗だったとしたら、100年以上存続してきたことによる「由緒あるブランド」などが確立しているわけです。創業者から伝わる「家訓」のような教えもきっと残っていることでしょう。
それこそが今まで1世紀以上に渡り商売を続けることができた礎となっているのですから、当然そのような「伝統」は守るべきものであり、すぐに投げ捨てられるような軽いものではありません。
一方で、そのような昔から続く老舗の商品は、創業した江戸時代の頃ほどには需要がなくなって、一部の愛好家だけが好むような「嗜好品」のようになってしまっている可能性もあります。そのまま行くと、どんどん先細りして、やがてはのれんを降ろさなければならなくなってしまう、そういうことも起こり得るでしょう。
そして、そのような場合、「最早、伝統にこだわっている場合ではない!今の需要に合わせた商品を提供していかないと生き残れない!」という考えに到るのも極めて自然な流れだと思います。
このような意見の対立は「どちらもそれなりに正しい」ので、両者が合意できるような結論を導き出すことは困難です。
2. 見ているのは表層か?内側か?
それではこのような場合、私たちはどうすればよいのでしょうか?
そのヒントとして、議論の「抽象度のレベルを見極める」ことを著者は主張されています。
別の言い方で、「変えるべきこと」と「変えるべきでないこと」の線引きを行う、とも書かれています。
前述の100年続く老舗の例で言うならば、「家訓」のような「経営理念」は「変えるべきでないこと」になるでしょう。商売繁盛の秘訣が先祖代々伝えられてきたものであり、それは今後も、子々孫々、守るべき考え方であることに間違いはありません。
これは「抽象度のレベルが高い」部分になります。
一方で、時代に合わせて、商売のあり方を変化させるべきである、という主張はどうでしょうか。こちらは、「売上が年々減少している今、どのような打ち手を取るべきか?」ということで、より「具体的」な戦略・戦術レベルの話になります。つまり、状況に応じて「変えるべきこと」です。
これは「伝統」や「家訓」に比べると、「抽象度のレベルが低い」部分になります。
ここまでの話を整理すると、二つの意見が「どちらも一理ある」と思えたのはやはり「その通り」だったということです。
ただし、二つの意見が主張されていた「抽象度の階段」の「段が違っていた」ということです。
そもそも同じ階層にない、二つのまっとうな意見をぶつけあっていたために、話がいつまでたっても決着しなかったということなのです。
従って、私たちも今度から他の人達と話し合う時には、
「自分達と相手方の意見の抽象度のレベルは揃っているか?」
を意識しておくことが肝要なのではないかと思います。
そこの部分の意志統一が図れれば、議論の生産性も高まり、お互いに満足のできる着地点が見つけれらるようになるのではないでしょうか。
3. まとめ
・議論においては「抽象度のレベル」を意識することが大切
・「変えるべきこと」と「変えるべきでないこと」の線引きを
行うと論点が明確になる
・抽象度の高い考えと具体的な考えはどちらも大切で、
一方だけでは成り立たない
〈今日の読書を行動に変えるための
個人的チャレンジシート〉
ーーーーーーーーーーーーーーーー
1.この本を読んだ目的、ねらい
・抽象的な思考を身につける方法を学ぶ
2. 読んでよかったこと、感じたこと
・自分や他者の考えの抽象度のレベルを合わせるための
ヒントを得ることができた
3. この本を読んで、自分は今から何をするか
・思考の抽象度のレベルを意識するとともに
抽象と具体の思考の往復運動を繰り返す。
4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか
・人と話し合う時に、抽象度のレベルを合わせて
両者が満足できる生産的な結果を生みだすことができるようになっている
・抽象度を意識した言語化と情報発信が今よりも
上手に行えるようになっている
ーーーーーーーーーーーーーーーー
<お知らせ >
このブログのメルマガ版の配信を希望される場合は、
下記リンク先からご登録をお願い致します。