脳は身体を必要としなくなるのか? 読書日記『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』池上高志, 石黒浩 著
今日の読書日記は『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』から、「脳」と「身体」の分離について。
ジェミノイドの対話実験では、操作者もまた興味深い反応を示す。対話者がジェミノイドのほほを突いたり、抱きしめたりすると、操作者はまさに自分がそうされているかのような感覚を持つのである。
これは操作者がジェミノイドの身体に適応し、ジェミノイドの身体を自分の身体のように感じているものと考えられる。
ジェミノイドにおいては、視覚や聴覚はすでに遠隔操作システムによってつながっているので、残る感覚は触覚や嗅覚である。
その触覚が、仮想的であっても共有できるということは、ほぼその身体を自分の身体と認識していると言っていいだろう。そしておそらくは、ジェミノイドの完成度を上げていけば、嗅覚さえも仮想的に共有できる可能性がある。
人間がジェミノイドの身体に適応する理由は、おそらくは脳と身体のつながり方にあるのだろう。元来、脳と身体は密につながってはいない。
もともと脳と身体のつながりは弱いからこそ、たとえそれがジェミノイドの身体であっても、脳がその体の一部に対して予想通りに動いていることを確認すれば、脳は予測に基づいて、他の感覚までも仮想的に再現してしまうのであろう。
ここで持ち上がる疑問は、「脳と身体は分離可能か」「脳と身体は再配置可能か」である。
これまでの哲学では、脳が体から離れて存在する場合において、そもそもそれは人間なのかという議論はされてこなかったであろう。
しかしながら、ジェミノイドのシステムが一般的に利用できるようになれば、この問題は現実のものとなる。操作者は、世の中にあるジェミノイドのどれにもインターネットを通してアクセスできるし、気が向けば違うジェミノイド(身体)に乗り換えることもできる。
技術開発の目的は、脳を身体的な制約から解き放つことにある。
歴史的にも、技術は人間の能力をもとに発想され、人間の能力を機械に置き換えてきた。電話を使えば移動しなくてもいつでも誰とでも話をすることができるように、技術によって脳はより自由になり、身体の物理的意味はどんどん薄くなっている。
〈今日のコンテンツ〉
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1. 私たちの身体と認識される感覚
2. 「人間」の定義が広がる
3. まとめ
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1. 私たちの身体と認識される感覚
この本は、人型のロボット「アンドロイド」の研究者である大阪大学の石黒教授と「人工生命」の研究者である東京大学の池上教授、お二人の対談や共同研究の内容、そしてそれぞれの「人間とは何か」「生命とは何か」についての考えがまとめられたものです。
今回は石黒教授の考察からの引用です。文中の「ジェミノイド」は石黒教授が開発した外観が人間そっくりのアンドロイドのことです。
私が面白いと思ったのは、ジェミノイドを遠隔操作する人がいて、その遠隔操作されている「ジェミノイドが抱きしめられる」と、遠隔操作している「自分自身も抱きしめられた」ように感じるというところです。
抱きしめられているのは、自分によく似た「人型ロボット」なのだけれども、まるで、その「人型ロボット」と感覚を共有しているかのように感じてしまうそうです。
また、このような「触覚」だけでなく、例えば子ども型のアンドロイドを抱きしめると子どもの匂いがする「気がする」そうです。これは「嗅覚」の「仮想的な共有」をしている、ということになります。
すると、どういうことが考えられるでしょうか?
アンドロイドのようなロボットを通して、もし私たちの「五感」を「仮想的に共有」することができるようになるとするならば、私たちは私たち自身の持つ「生身の」身体の制約を乗り越えることができるようになる、ということも起こり得るのではないでしょうか。
もう少し、具体的に言うと、別に私たちの身体が「生身である必要がなくなる」可能性があるということです。
「意識」がそこにあるのなら、私たちの身体は例えばステンレスと樹脂とスポンジで構成されていても、誰も気にしなくなる時代が来るかもしれません。
これはまるで、アニメや映画の「攻殻機動隊」の世界を再現しているようにも思えてきます。
2. 「人間」の定義が広がる
とは言え、よくよく振り返ってみると、今の私たちの生活だって、昔の人から見れば、超能力者か妖怪か神様だと思われるのではないでしょうか。
飛行機に乗って空を飛び、skypeを使えばリアルタイムで地球の裏側の人ともお互いの顔を見ながらお話ができます。こんなことは、例えば江戸時代の人からすると、物語の中だけの突拍子もないお話だったでしょう。
同様に、今、私たちがSFのような「物語の中だけのお話」と考えている出来事はたくさんあります。
ですが、昔に比べて、私たちが今いる地点からその物語までの「距離」が短くなっているような気がします。
SFの世界が「現実の射程内」に捉えられている、と言えばいいでしょうか。
物語の世界は「現実ではこんなことありえない」という前提条件を了解した上で楽しむものです。この「こんなことありえない」というのは、今を生きる私たちが持つ、「常識」や「固定観念」を基準として出てきた考えです。
最近、人工知能関連の本やニュースに触れていると、「こんなことありえない」という物語の世界にどんどん近づいているような出来事によく遭遇します。
「こんなことありえない」と思っていたはずなのに、「こんなこともありえるかも」に少しずつ、書き換えられているような感覚です。
「人間が機械の身体になるなんてありえない」から「人間が機械の身体になることもありえるかも」と考えるようになってきているのです。
そして「人間が機械の身体になることもありえるかも」と考える人の数が増えてくると、技術開発が一層進み、「人間が機械の身体であることは当たり前」の時代が到来するでしょう。
そうなった時、「人間」というものはどのように定義されるのでしょうか?
生身の身体の人間と機械の身体の人間が共存している世界になっているかもしれません。あるいは、機械の身体の人間だけが存在し、「人間は、昔は有機物で構成されていたが、現在は無機物で構成されている」などと辞書に載るようになるかもしれません。
いずれにしても「人間」に対する定義は、現在私たちが「人間とはこんなもの」と考えているものと大きく異なっているでしょう。きっと「人間」という言葉の表す範囲は今よりも広がっているのだと思います。
そのような今までの観念から新しい観念への移行期に私たちは差し掛かっています。
もし、技術の進展によって、「身体」に「固定」されていた「脳」がその制約から解き放たれるのならば、私たちの「考え」自体も「これまでの人間」に対する「固定観念」から解き放たれていくのでしょうね。
果たしてそれがどのような世界なのかは分かりませんが、「漂う意識」だけでも人間と呼び、それが一時的に乗り移った「機械の身体」でも人間と呼んでいるのかもしれません。
3. まとめ
・人間の「五感」が仮想的に共有できるようになれば、
人間の脳は、「生身の身体」という物理的な制約に縛られなくなる
・技術開発の目的は、脳を身体的な制約から解き放つこと
・「人間そのもの」の定義が大きく書き換えられる時代には、
私たちも今の常識、モノの見方を大きく書き換えていくことになる
〈今日の読書を行動に変えるための
個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい
・機械からのアプローチを通して、人間の本質について考えること
2. 読んでよかったこと、感じたこと
・心の認識は観察者側の問題である、という視点を
学ぶことができた
3. この本を読んで、自分は今から何をするか
・人工生命についてはもう少し勉強して理解を深める
・自分の身体が機械化した場合、どのような暮らしをするか
考えてみる
4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか
・意識、心、欲求といった現象に対する自分の考えが深まっている
・自分の価値観を柔軟に書き換えていけるようになっている
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