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読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

読書日記『アドラー心理学入門』岸見一郎 著②

今日も『アドラー心理学入門』から、子育てに関係する部分について。
 
 

育児の行動面の目標として、

1.自立する
2.社会と調和して暮らせる
 
これを支える心理面の目標として
1.私は能力がある
2.人々は私の仲間である
 
 
不適切な行動には注目しない一方で、適切な行動に注目します。そうすることによって、やがて不適切な行動は減っていきます。適切な行動することで注目されるのであれば、殊更に不適切な行動をしてまで注目されようとする必要は無いからです。
 
 
褒めるのとは違って、すなわち、評価するのではなく、喜びを共有すること、自分の気持ちを伝える事は勇気づけになります。当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか、「うれしい」とか「助かった」と言ってみます。
 
 
下心がある場合は勇気づけにはなりません。行きつけは今の自分の気持ちを言う事であっても、「次」は無いのです。このような危険を回避するために、「存在」そのものに注目したいのです。何かをしたからではなく、ただ「存在」していることがすでに喜びであると言うことを伝えてみます。
 
 
理想の子供を基準にして現実の子供をそこからいわば引き算するのではなく、ただ生きていると言う状態を基準にして見ていけば、「生きている」という事実そのものが、既に喜びですし、どんなこともプラスに見ることができます。そして感じたことを言葉に出して言うことが勇気づけになるのです。
 
 
特に社会人になってからは、滅多なことでは「怒る」ということがなくなっていたのですが、子供が生まれて、子供が立って歩くようになってからは、怒ることが多くなってしまいました。それはもちろん、ちょっと目を離している内に子供が棚や机の上からお皿などを落としてケガをしてしまうのを防ぐためです。
 
しかし、まだこちらの言葉の意味も十分に理解できない子供に対して怒りをぶつけた後は、いつも言いようのない不快感を感じていました。
 
アドラーの考え方に従うならば、例えば、いたずらをすることで子供が注目を集めようとしているのであれば、それには反応しないようにする。でも、ご飯を残さず食べることができたり、食べ終わった食器を流しまで持ってくることができたら、それにはしっかり注目する。ただし褒めてもいけない。感謝している親の気持ちを伝えて「勇気づける」のが良い、ということになります。
 
ただし、良い行動を続けさせたいという下心を持って「勇気づけ」を行ってはダメ。この辺りのさじ加減は非常に難しいです。
 
ただ、子供が生きていてくれること、それだけで満足、それだけで嬉しい、この状態を基準にした眼鏡をかけて子供を見るようにする。こうすると、いつものいたずらも愛くるしくて仕方なくなってくる気がします。そうすると、いちいち自分が理不尽な怒りをぶちまけることも馬鹿らしく思えてくるから不思議です。
 
あまり叱ってばかりだと子供は「自分には能力がある」という自己効力感をいつまでも持つこともできません。そして社会に自分の仲間がいることを実感できなくなるかもしれません。
 
それに、自分の考えではなく、誰かの考えに依存してしまい、「自立」して、社会と調和して暮らすことも困難になっていく可能性も高まります。
 
子供の自立のために、褒めるのでもなく、叱るのでもなく、「勇気づける」。
 
これは、親にとってもじっくり取り組んでいく必要のある大きな課題です。定期的に自身の子供に対する行動を振り返る必要があると思いました。
 

 

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