読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

乱読により得られるものは? 読書日記『乱読のセレンディピティ』外山滋比古 著①

 

乱読のセレンディピティ

乱読のセレンディピティ

 

 

今日の読書日記は、『乱読のセレンディピティ』から、読書の弊害と乱読の効用について。

 

 

読書家は、知識と思考が相反する関係にあることに気がつくゆとりもなく、多忙である。知識の方が思考より体裁がいいから、もの知りになって、思考を圧倒する。知識をふりまわして知的活動をしているように誤解する。

 

本当にものを考える人は、いずれ、知識と思考が二者択一の関係になることを知る。つまり、もの知りは考えず、思考するものは知識に弱い、ということに思い至るだろう。

 

本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。年をとる前に、知的無能になってしまうのは、独創力に欠けているためである。知識は、化石みたいなもの。それに対して思考は生きている。

 

知識、そして、思考の根をおろしているべき大地は、人間の生活である。その生活を大切にしない知的活動は、知識の遊戯でしかない。いくら、量的に増大しても、生きていく力とのかかわりが小さい。

 

 

乱読はジャンルにとらわれない。なんでもおもしろそうなものに飛びつく。

 

とにかく小さな分野の中にこもらないことだ。広く知の世界を、好奇心にみちびかれて放浪する。人に迷惑がかかるわけではないし、遠慮は無用。十年、二十年と乱読していれば、ちょっとした教養を身につけることは、たいていの人に可能である。

 

個人として考えれば諸学綜合の人間学とでも言うべき世界を創り出すことはそんなに難しいことではないように思われる。

乱読すればいい。

いろいろなジャンルの本を、興味にまかせて読んでいく。ひとつの専門にたてこもっていると、専門バカになるおそれがあるけれども、乱読なら、そうはならない。それどころか、専門主義、瑣末主義が見落としてきた大きな宝をとらえることが可能である。

 

乱読の本ではよくわからないところが多い。本の内容が、そのまま物理的に読者の頭の中へ入るということはまずない。わからないから、途中で放り出すかもしれないが、不思議なことに、読みすてた本はいつまでも心に残る。

 

専門の本をいくら読んでも、知識は増すけれども、心をゆさぶられるような感動はまずない、といってよい。それに対して、何気なく読んだ本につよく動かされるということもある。

 

乱読でなくてはおこらないセレンディピティがあることを認めるのは新しい思考と言ってよい。

 

積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。

 

自分でものを考える力をつけるには近くに、強力な人や本があるとかえってよろしくないようである。むしろ遠くにありて読み、遠くにあって考えるものにセレンディピティはおこる。成功からは新しいものが生まれない。失敗、誤解のもとにおいて偶然の新しいアイデアが生まれる。

 

 

まず、語句の意味について念のために確認しておきます。「セレンディピティ(serendipity)」とは、「思いがけないことを発見する能力。とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。(大辞林)」です。

 

 

ひたすら読書ばかりしていて、賢くなった「気がして」いても、それによりたくさんの知識を蓄えたとしても、それはあくまでも「借り物」の思考だということです。

 

「借り物」の思考を得ることばかりに時間を費やしてしまうと、自分自身でものを考える時間が取りにくくなります。

 

もちろん、考える土台として、読書により、他の人がどう考えたか、という知識を仕入れておくことは役に立つでしょう。ただ、読書を始めとするインプットは思考のアウトプットに比べて、精神的、肉体的なハードルがはるかに低く、取り組みやすいものです。

 

ですから、ついつい「インプット偏重」、「知識偏重」になってしまうことには注意が必要です。食べ物の消化・吸収・排泄と同じで、インプットしたら、即、アウトプットしていくことが大切なのだと思います。

 

理想的には常に頭の中に、ものを考えられる余裕を残しておけるようにすることです。少しでも何か気がかりなことがあると、頭の中の一部は常にその悩みに費やされてしまいます。そうなると、肝心の思考のアウトプットの生産性にも悪影響を与えます。

 

ですから、今、手持ちでアウトプットしないといけないことがあるならば、それを先に全て片付けてしまいます。そして新たなインプットはそれが完了するまではストップさせるようにします。このようにしないと、思考回路を縦横無尽、最大限に働かせてやることは難しいように思います。

 

これは、インプットに対する「飢餓状態」になるくらいまでアウトプットを重視してやりきるということでもあります。「飢餓状態」を意図的に用意してやることができれば、インプットを行う時の吸収率も断然、良くなるはずです。

 

 

本書では、読書をし過ぎることの弊害について述べられている一方で、乱読の有用性についても述べられています。サブタイトルに「思いがけないことを発見するための読書術」とあるとおり、分野にとらわれない幅広い読書を行うことで、セレンディピティが起こりやすくなるようです。

 

乱読においては例えば、小説、ビジネス書など特定のジャンルの本ばかり読まないこと、また、自分の専門分野の本ばかり読まないことなどが大切なようです。

 

むしろ今の自分の日常とはかけ離れた異分野に関する本の方が、閃きや気づきを得られることが多く起こるそうです。

 

私たちは、「すぐに」「直接」役立つものを求め、いつ役立つのか、何の役に立つのか分からないものはどうしても軽視しがちです。

 

ですが、そういったものを拾っていって、異分野を越境してつなげる「気づき」を得ることができれば、そこからさらに掘り進めれば、まだ誰の手垢もついていない宝物が見つかる可能性があります。

 

つまり、実体験として異分野を越境することに合わせて、意図的に異分野の本を乱読することで、「チャンス」や「イノベーションに繋がるアイデア」といった宝物を見つけられる確率を高められるということです。それと同時に「教養」も身につけることができるでしょう。

 

幸いなことに、既に地球上には一生かかっても読み切れないだけの数の本があります。ということは、「乱読による世界の宝探しの旅」も一生楽しめるということです。ということは、明日も明後日もその先も、私の宝探しの読書の旅は続いていくということです。

 

 

〈今日のチャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

セレンディピティにつながる読書方法を知る


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・読書の弊害と乱読の効用について

    知ることができた

 

・早起きと散歩の効用について知ることができた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・朝の生産性を上げるため早寝早起きを続ける

 

・生活に散歩を取り入れてみる

 

・意図的な異分野の乱読により越境を加速し、

 同時に一個人としての諸学綜合を目指す


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・将来のビジネスや自分の在り方の土台となる

    宝物を複数個、見つけている

 

・インプット飢餓状態が常態化するくらい

    自分の思考回路をフルに使ったアウトプットの

    高速回転が行えるようになっている

 

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