読書尚友

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私たちは何者なのか? 読書日記『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき[エッセンス版]』レイ・カーツワイル 著

 

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

 

 

今日の読書日記は、『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき[エッセンス版]』から、私たちの「パターン」について。

 

 

 

意識と関連がありながら、また別の問題となるのが、われわれのアイデンティティである。

 

個人の精神のパターン――知識や技術、人格、記憶など――を、他の基板にアップロードできる可能性については前に述べた。

 

その結果生まれた新しい存在は、わたしそのもののように振る舞うだろうが、そこに問題が生じる。それは本当に私なのだろうか?

 

 

わたしとは誰なのか?たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか?そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう?

 

私はオリジナルのほうなのか、それともその両方なのだろうか?

 

 

わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。

 

われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、一か月ですべての構成分子が入れ替わってしまう。

 

そういうわけで、現在のわたしは一か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。

 

パターンもまた変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。

 

「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は一〇〇〇分の一秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、ときには数年間も持続する。

 

つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、というべきだろう。

 

 

われわれは、パターンの発現する力を通してこそ、超越することができる。人間の身体を形作っている物質は、速やかに入れ替わってしまうので、持続しているものは、人間のパターンが有する超越的な力に他ならない。

 

 

このパターンの持続力は、生物体や自己複製テクノロジーといった自己再生システムを明らかに超えている。パターンの力と持続性こそが、生命と知性を支えているのだ。パターンは、それを構成している物質よりもはるかに重要である。

 

進化は、パターンと深く関わりがあり、進化の過程で成長するものは、端的にいえば、パターンの秩序と深さに他ならない。

 

したがって、人間の中で起きる進化の極致であるシンギュラリティは、こうしてさまざまな形で現れる超越性をさらに深めていくことだろう。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. わたしという「存在」

2. わたしという「パターン」

3. まとめ

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1. わたしという「存在」

 

「シンギュラリティ」という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか?

日本語では「技術的特異点」と訳されます。

 

その意味はこの本によると、「われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作り出したテクノロジーと融合する臨界点」であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している、とのことです。

 

テクノロジーが加速度的に進化して、そしてテクノロジーの進化の「スピード自体」も加速度的に進化すると、将来、「人間とテクノロジーの区別がなくなる」タイミングが訪れるそうです。

 

人間の身体が「機械化」されるから、というよりもむしろ、機械の方が人間のように、さらには人間を超えて進歩するからだ、と述べられています。

 

そしてその時期は著者の予想では「2045年頃」ということです。

 

そのような時代には、私たちの「意識・思考・心」などは全てネットワーク上に「アップロード」しておいて、「別の身体」に「移し替える」ことができるようになるといいます。

 

これは、例えて言うと、新しい家に引っ越したり、車を乗り換える感覚と同じことだと思います。

 

それだけなら、まだ元々のオリジナルの私たちは「一人だけ」という事実は変わらないはずです。しかし、私たちの意識や思考が「アップロード」できるということは、それらが「データ化」されている、ということでもあります。

 

「データ化」されているということは、そのデータを機械化された身体なりに「ダウンロード」することで、私たちの「コピー」が作れるということです。私たちと寸分たがわぬ性格やクセ、考え方をもった「量産型」を製造できるということです。

 

たくさんの「量産型わたし」と、もともとのオリジナルの「わたし」が並んだ時、果たして「本物のわたし」は一体どこに存在することになるのでしょうか?

 

 

2. わたしという「パターン」

 

現在でも、人工の臓器や義手、義足など、生身の人間の身体を機械で置き換えるものは存在しています。

 

私たちの身体をそのように少しずつ、生命的なものから機械的なものに置き換えていった場合、私たちの「意識・思考・心」というものはどこから見つかるでしょうか?

 

やはり「脳」のどこかにあるのでしょうか?

 

機械には「意識・思考・心」がないとしましょう。そうであるならば、将来的に「脳」も機械で置き換えられるようになったとしたら?

 

そうすると、結局私たちの「生身の身体」の中には「意識・思考・心」は見つからなかった、ということになります。

 

私たち個人を特徴づけるものは、もちろん外見的なものもありますが、考え方や性格、といった内面的な部分が占める割合も大きいはずです。

 

将来的に機械の身体に乗り換えらえる時代が来たとして、仮にみんなが同じく「ドラえもん」の姿を選んだとします。

 

そうすると、考え方や性格、話し方など、内面的な部分が外側に発現したものでしか、それぞれの「識別」はできなくなります。

 

「量産型」の私たちの場合は、その「意識・思考・心」までもが全ての「ドラえもん」で皆同じものとなります。

 

そうなると、性格や話し方で識別することも最早不可能です。従って自分が「オリジナル」だったのか、あるいはコピーされた「量産型」だったのか、だんだん分からなくなってくるのではないでしょうか。

 

このように考えてくると、どうやら「私たち」を「私たち」として特徴づけているものは、「生身の身体(オリジナル)」か、「機械の身体(量産型)」かという話ではなくなりそうです。

 

 

著者は言います。「わたし」とは「パターン」であると。そしてそれは、「川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなもの」だということです。

 

それは構成される物質(流れる水の分子)が絶え間なく変化していたとしても「維持される」もの。

つまり、物質的な部分を「超越する」ものだということです。

 

おそらく私たちの「意識・思考・心」といったものも、このような「パターン」であるのでしょう。

 

そもそも機械化されるまでもなく、私たちの身体の細胞は日々、「入れ替わって」います。それでも私たちは私たちであり続けています。

 

意識せずとも、私たちは自分を「乗り換えていた」ということです。

 

 

例えばですが、文字というのは「パターン」です。例えばアルファベットなら26文字のパターンで構成されていますよね。

 

世界史の授業で教わったように、かつて「粘土板」に刻まれた「楔型文字」は、数千年という時空を超えて、当時の人々の生活を今の私たちまで伝えてくれています。

 

今度は私たち自身が、私たちの「意識・思考・心」のパターンを「機械」に刻みこんで、時空を「超越」していく。そんな時が迫っているのかもしれません。

 

 

3. まとめ

・シンギュラリティは2045年頃に訪れると予想されている 

 

・私たちの「意識・思考・心」は生身の身体だからこそ

 宿っているものではない

 

・私たちは「パターン」であり、「パターン」であるからこそ

 「生命」の限界を超えて持続可能な存在になり得る

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

人工知能の本を読むと必ずといってよいくらい

 頻出する「シンギュラリティ」という言葉に対する

 理解を深める


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・シンギュラリティの定義を再確認できた

 

・ITの能力が指数関数的に成長しているだけでなく、

 ITの成長率も指数関数的に成長しているということを

 知ることができた

 

・問題に遭遇した時には、それを言葉で正確に表現することで、

 問題に立ち向かい、解決するアイデアを見つけられる、

 ということを学んだ


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・シンギュラリティ到達までのギャップを埋めるための

 現時点での技術的課題についてリサーチしてみる

 

・自分というパターンを移し替える方法について

 考えてみる


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・「自分というもの」に対する理解が今よりも深まっている

 

・将来の自分の能力の成長を織り込んだ計画設定が

 できるようになっている

 

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