読書尚友

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教養を身につけるためにはどうすれば良いのか? 『本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法』出口 治明  著

 

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法 (角川oneテーマ21)

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法 (角川oneテーマ21)

 

 

 

今日の読書日記は『本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法』から、教養を身につける意義と、その方法としての読書について。

 

 

教育だけでは、それなりの人生しか送ることができません。より良い人生、より良い仕事、より良い生活を送るためには、教養が必要です。

 

教養に触れ、インプットが多くなればなるほど、アウトプットの幅が広がり、発想が豊かになります。

 

教養は、教育とは違います。教育とは、人間が生きていくために必要な「最低限の武器を与えること」です。

 

自分の頭で考える力をつけ、同時に社会生活上必要な実務的な知識を与えることです。

 

 

自立をうながすのが教育の原義なのです。

 

 

人間の人間たる所以は、自分の頭で考えることです。「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を述べること」が何よりも重要です。

 

これこそが、すべての教育や学習の最終目標です。

 

日々、自分の頭で考えて次々と選択(対応)をしていくのが、人間の人生です。

 

人間が、この社会でより良い生活を送るためには、この日々の選択を少しでも正しいものにするために、自助努力(勉強)が必要です。

 

日々の選択の判断材料となるのが、「教養」です。

 

・教育……生きていくために必要な最低限の武器を与えること

・教養……より良い生活を送るために、思考の材料となる情報を

     身に付けること

 

ストックしてある知識や情報の量が多ければ多いほど、思考や直観など脳の活動の精度は高くなります。だから私たちは、たくさんの教養を身に付けておく必要があるのです。

 

 

私は、教養は、言葉を替えれば、人間の「精神のあり方」であり、その人の人生に対するスタンスだと考えています。

 

「ひとつでも多くのことを知りたい」という気持ちを持ち続けている限り、「何冊」と数えなくとも、教養は、永遠に積み上がっていきます。

 

 

 

私は、人間が生きる意味は「世界経営計画のサブシステム」を生きることだと考えています。

 

すなわち、人間が生きていく以上、「この世界をどのようなものだと理解し、どこを変えたいと思い、自分はその中でどの部分を受け持つか」を常に考える必要があると思っているのです。

 

「世界経営計画のサブシステム」が人間が生きる意味だとすれば、まず世界を正しく理解することから始めなければなりません。

 

ところが人間は、見たいものしか見ない動物で、自分に都合のいいように世界を見てしまうので、偏見を持ちやすい。

 

そこで私は、世界を正しく理解するためにまず「タテヨコ思考」で物事を捉えるようにしています。

 

・タテ思考/時間軸……人類の、あるいは会社の歴史と照らし合わせて考えること(昔の人の話を聞いたり、古典や社史などを読むこと)

 

・ヨコ思考/空間軸……世界の人々、あるいは他社などの状況を照らし合わせて考えること(他の国や他社などの実情を調べたり、実際に行ってみること。すなわち旅をすること)

 

人、本、旅から得た教養をタテヨコに展開していけば、ほとんどの事柄について、現在の自分のポジションを理解できるようになります。

 

長い目と広い目から導き出された答えは、個人の主観に影響されることがありません。したがって、正しい答えになることが多いのです。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. 教育と教養

2. タテとヨコへの冒険

3. まとめ

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1. 教育と教養

 

 

博覧強記で知られるライフネット生命保険株式会社会長の著者が、「読書のおもしろさ」や「読書の有用性」など、ご自身の読書論を述べられた本です。

 

特に、「書物を通して如何にして教養を身に付けるか?」というところに焦点が当てられています。

 

著者は、「人・本・旅」が思考力を鍛えて、教養を身に付けるための優れた方法だと述べられています。

 

その中でも、「人に会って話を聞くこと」や「旅をすること」に比べて「本」は教養を身に付けるためには、「効率が良い」ものだそうです。

 

その理由として、

 

①何百年も読み継がれたもの(古典)は当たりはずれが少ない

②コストと時間がかからない

③場所を選ばず、どこでも情報が手に入る

④時間軸と空間軸が圧倒的に広くて深い

⑤実体験にも勝るイメージが得られる

 

ということを挙げられています。

 

 

私たちが、「教養」という言葉からイメージすると、例えば、歴史、哲学、音楽、芸術、文学、、、などが思い浮かぶのではないかと思います。

 

なぜこれらを学ぶことが必要なのでしょうか? 

 

これらのものは、それらを生業としている人でない限りは、極論ではありますが、

 

「日常の糧を得るためには、取り急いでは必要の無いもの」

 

と捉えることもできると思います。

 

この理由について、著者は今回引用した部分にある通り、「より良く生きる」ために必要だと述べられています。

 

日々の生活の中で、様々な媒体からの、膨大な量の情報に私たちは飲み込まれています。

 

そのような中で、自分で考え、自分で判断して、自分にとって最良の決断を下す。

そのための材料となるのが「教養」なのです。

 

「思考」の判断材料となる「教養」がないと、自分の頭で考えることができません。

 

そうなると、既得権者や為政者が支配しやすい社会ができ上がる、とも本書では述べられています。

 

支配する側や、商品・サービスを一方的に供給する側にとっては、自分の頭で考える習慣のないリテラシーの低い人ほど扱いやすいからです。

 

「疑うこと」、つまり自分の頭で「これは本当なのか」と問いかけ、騙されずに選択するためには、判断材料として必要な「教養」を蓄えておく必要がある、とのことです。

 

 

そして、教養は教育とは異なるとも明確に述べられています。教育は社会生活を行うための必要最低限の武器、自立のためのものであると。

 

日本には義務教育制度があるおかげで、そのような「必要最低限」の知識は学ぶことができます。

 

でも、そこから先の、「自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の意見を述べる」こと。このためには「教養」を「自助努力」で勉強していくしかありません。

 

この点に「教養を身に付ける」ことに対するハードルがあると思います。

 

教育は、「即効性」のある武器。学べばすぐに使えるものが多いでしょう。例えば、足し算を学べば、その計算方法はスーパーで買い物をする時にもすぐに役立ちます。

 

それに対して、教養は「遅効性」の武器なのです。学んでみたところで、きっと無駄ではないのだろうけれども、それを学んだからといって、例えば「論語」を読んだ翌日から、いきなり仕事の生産性が2倍になるとか、そういうものではないでしょう。

 

それが効き目を発揮するのは1年後か、5年後か、あるいは10年後になるのか、全く分かりません。従って、教養を学ぶことには「根気」が必要になります。

 

すぐに効き目が分からないことから、私たちは教養の重要性を認識していたとしても、「そのうち時間が出来てからゆっくりと学べばいいや」と、遠ざけてしまうのです。

 

「そのうち」という時間が、この先、本当に訪れるのかも分からないままに。

 

 

2. タテとヨコへの冒険

 

著者によると、人に会って話を聞くこと、本を読むこと、旅をすることの3つが思考力を磨き、教養を身に付けるための優れた方法であること。その中でも特に「本を読むこと」が教養を身に付ける方法として「効率が良い」ものである、ということは既に述べました。

 

 

もう一つ、私たちが何かの決断を下す場合に参考になる重要なヒントが本書では述べられています。それが「タテヨコ思考」です。

 

これは、時間的、空間的な広がりをもって、今私たちが問題としていることと類似した事例を探し出すことだと理解しています。

 

その時、その場所で、どのような人が、どのように考え、どのように決断し、行動したのか、その結果どうなったのか?

 

それを私たちが誤った判断を下すのを減らすための判断材料にしよう、ということです。

 

「歴史は繰り返す」という言葉があります。

それでは、歴史は一体何故、繰り返してしまうのでしょうか?

 

それは、人間の過ちは基本的に「伝承されない」からです。

 

だいたい「70年くらい」の周期で、過去に起こったことと同様の出来事が起こる、

という話を聞いたことがあります。

 

この70年という数字の根拠は、次のようなところに依るようです。

 

親から子へは「親の世代に起こった出来事」はリアルに伝えることができる。

 

でもさらにその子ども、つまり孫の世代に対しては、「祖父母の世代に起こった出来事」は祖父母から孫へはあまり伝えられない。

 

また親では「祖父母の世代に起こった出来事」をリアルに伝えることができない。

 

こうして、「祖父母の世代に起こった出来事」と同様の出来事は「孫の世代」において繰り返される、と。

 

この周期が2世代分、つまり「約70年」ということです。

 

 

今も科学技術は凄まじい勢いで発展しており、歴史の教科書に登場するような古代文明のあった時代と現在とでは、私たち人間は全く異なる、遥かに快適な環境の中で生活しています。この点には疑いの余地はないでしょう。

 

ですが、我々の思考能力が、古代文明のあった頃と比べて、果たして大幅に進歩、成長しているか?と問われると、「?マーク」がつくのではないでしょうか。

 

私たちは、普段の生活の中で、誤った判断を下す回数は、1000年前、2000年前と比べた時に、明らかに激減している、と言えるでしょうか?

 

私は「変わっていない」と思います。

だからこそここに、歴史を始め、さまざまな「教養」を学ぶ意味が出てくるのです。

 

 

私たち一人一人がより良く生きるために。先人の貴重な過ちを繰り返さないために。

 

 

3. まとめ

 

・教育は、生きていくための必要最低限の武器

 教養は、より良く生きるための思考の材料を手に入れること

 

・教養を身に付けるためには本(特に古典)は

 非常に効率が良い

 

・「タテヨコ思考」を身に付け、時間的、空間的に、類似した出来事を

 探すことが、私たちの判断の精度を高めることに繋がる

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・博覧強記の著者の読書方法を学び

 参考にする

 


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・教養を学ぶ意義について知ることができた

 

・タテヨコ思考について学ぶことができた

 

・情報源の使い分け方を学ぶことができた

 まとまった知識・・・本から得る

 直近のニュース・・・新聞から得る

 百科事典の代わり・・・インターネットを使う

 

 

3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・教養を身に付けるための参考図書が多数

 紹介されていたため、気になるものを1冊

 読んでみる

 

・判断を下す時に、タテヨコ思考(時間と空間の広がり)

 を意識する


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・教養を少しずつでも身に付けていくための

 システム作りを行っている

 

・古典を読むことに対する心理的ハードルが

 低くなっている

 

・「タテヨコ思考」、「人・本・旅」を意識し続けることで

 今よりも少し、思考力が高くなっている

 

 

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