読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

困難を乗り越える言葉を獲得するためには?『読書という荒野』見城徹 著

 

読書という荒野 (NewsPicks Book)

読書という荒野 (NewsPicks Book)

 

 

 

本には、人間社会を理解する上でのすべてが含まれている。

 

すべての意思決定は、人間の感情が引き起こしていること。そのため、他者への想像力を持つことが、人生や仕事を進める上で決定的に重要なこと......。

 

読書で学べることに比べたら、一人の人間が一生で経験することなど高が知れている。読書をすることは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことを意味する。

 

僕はかねがね「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と言っている。

 

自己検証とは、自分の思考や行動を客観的に見直し、修正すること。自己嫌悪とは、自意識過剰さや自己顕示欲を恥じ、自分の狡さや狭量さ、怠惰さに苛立つこと。そして自己否定とは、自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな自分を手に入れることだ。

 

本を読めば、自分の人生が生ぬるく感じるほど、過酷な環境で戦う登場人物に出会える。そのなかで我が身を振り返り、きちんと自己検証、自己嫌悪、自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ、情けない自分と向かってこそ、現実世界で戦う自己を確立できるのだ。

 

教養とは、単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察、言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。

 

自分の心揺らぐ瞬間を発見し、思考の軸とすること。それこそが教養なのだ。

 

僕が考える読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことだ。重要なのは、「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」なのである。 

 

その時の気持ちを言葉にして残しておけば、間違いなく自分の財産となる。

 

 

人間は一つの人生しか生きられないが、読書をすれば無数の人生を体感できる。理想を掲げて散っていく主人公に心を通わせる。そうすることで社会の中での自分を客観的に見ることができる。自分はなんて生ぬるいんだ、と現実を叩きつけられる。つまり「自己検証能力」が高まるのだ。

 

人間は多様で、さまざまな価値観を持つ。そうした他者への想像力を持たない者に、成長も達成もない。そしてこの力は、一朝一夕に身につくものではない。それは地道な読書によって厚くなっていくし、同時に実際の人生において、いじめられたり、理不尽を味わったり、地獄を経験すればするほど強くなっていくものなのだ。 

 

 

何度でも書くが、正確な言葉がなければ、深い思考はできない。深い思考がなければ、人生は動かない。

 

自己検証する。自己否定する。それを、繰り返し、繰り返し、自己嫌悪との葛藤の末に自分の言葉を獲得する。その言葉で、思考して、思考して、思考し切る。その格闘の末に、最後の最後、自己肯定して救いのない世界から立ち上がる。認識者から実践者になる。暗闇の中でジャンプする。人生を切り開く。

 

読書はそのための最も有効な武器だ。

 

 


〈今日のコンテンツ〉

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1. この本はどんな本か?

2. 武器としての言葉を得る

3. 思考の刃を磨き、戦いの旅へ

4. まとめ

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1. この本はどんな本か?

 

幻冬舎社長の見城徹氏が、これまでの自身の人生と読書遍歴について語られた自伝であるとともに、読書論について書かれた本です。

 

著者は様々な困難にぶつかる度、読書をすることで、打ちのめされ、自分の甘さを思い知らされ、再び立ち上がり困難に立ち向かうための勇気と言葉を獲得したそうです。

 

著者がもがき格闘してきたその様子を、著者がその時、夢中で読んだ本の紹介とともに読者も追体験することができます。

 

著者の本に向きあう姿勢、覚悟、真剣さは常人に比べると桁違いのものがあり、当然ながら、本に対する覚悟や真剣さは著者の仕事や人生に向き合う姿勢にも一貫して貫かれていることが分かります。

 

それを知ることで読者である私たちも自己検証、自己嫌悪、自己否定を否応なしに行うことになるでしょう。

 

現在の自分の生き方は、なんと「生ぬるい」のかと。

 

そして、それでは

 

「これから自分はどう生きるのか?」

 

という問いかけが頭の中でぐるぐる回り始めます。

 

 

そのような本質的な問いを投げかけてくれる本です。

本文中で著者が多数紹介してくれている本も読んでみたくなることは間違いないでしょう。

 

 

2. 武器としての言葉を得る

 

私たちは言葉によって思考しています。その言語が日本語でも他の言語でも、とにかく言葉を使って考えて、行動しています。

 

では、何かの事象、出来事を「理解する」とはどういうことでしょうか?例えば、数学の問題などで考えると分かりやすいのではないかと思います。

 

数学の問題を「自分で解くことができる」

 

これはどうでしょうか?

 

「理解している」状態としては実は中途半端なのではないかと思います。

 

明確に理解している状態というのは、

 

数学の問題を「自分で解くことができて、それを人が理解できるように自分の言葉で説明することができる」

 

というところまでが必要なのではないかと思います。

 

何故かというと、ただ問題を解くだけであれば、公式を丸暗記して、それに数値を当てはめるだけでも問題が解ける場合もあるからです。

 

でも、その場合、なぜ、その答えになるのかが説明できません。本質的な理解をしようと思ったら、その公式がどのような考え方で導出されるのか、というところまでを理解しておく必要があります。

 

それができると問題が少しアレンジされて公式をそのまま使えない状態になったとしても、応用が効くからです。

 

つまり、「このように考えられるから、その結果、こうなる」ということが説明できて、初めて深い理解につながるのではないかと思います。

 

数学の問題の例えで説明しましたが、それに限らずとも、「自分の言葉で説明することができる」ということが「理解する」ということを表す一つの指標になるでしょう。

 

 

では、「自分の言葉で説明できる」ようになるためにはどうすれば良いのかでしょうか。

 

説明するためには「言葉」が必要です。その言葉はどうすれば身につけられるでしょうか。

 

何かの本に書かれていたことですが、「理解する」、つまり「分かる」ということは「分ける」ということだそうです。

 

これは他の人が気づかないような微細な変化を「言い表して識別する」ことができる、ということです。

 

夕焼け空のグラデーションを思い浮かべてみて下さい。

 

赤い夕陽が徐々に西の空に沈んでいく時、空の色はオレンジ色から青紫色へと変化していきますよね。

 

今、「オレンジ色から青紫色」と書きましたが、実際にはこの間に、たくさんの色の移り変わりがあるわけです。そしてそれらのたくさんの色を表す言葉もあります。

 

ただ、そのオレンジ色と青紫の間の色の名前を、

 

「知っているか、知っていないか」

 

このことが、その人が夕焼け空の変化をどれだけ繊細に受け止められるかどうかを決めるのです。

 

どれだけ世界の広さを奥行きを持ったものとして認識できるかを決めるのです。

 

 

そんな、世界に対する私たちが持つ「センサーの感度」を高めるためにはどうすればよいのでしょうか。

 

それには本を読んで言葉を学ぶことです。もちろん会話を通して新しい語彙に触れることもあるでしょうが、文字を通して新しい言葉を学ぶことの方が、圧倒的に多くの語彙を学ぶことができると思います。

 

 

どれだけの数の言葉を自らの内に持っているか、それが私たちの思考のベースになります。

 

徹底的に自分のあり方、生き方を考え抜くためには、自分の状態を「正確に」表すための言葉を強く欲するようになります。

 

それを本の中で見つけるのです。

 

 

3. 思考の刃を磨き、戦いの旅へ

 

本書の著者は、社会が人間関係で構成されている以上、「他者に対する想像力」を養わなければならないと述べています。そして、「他者に対する想像力」は、読書を通して、実生活では経験できない「別の世界」の経験をすることで培われるとも。

 

そういう意味において、著者が勧めている読書はビジネス書や実用書ではなく、神話や古典文学、小説などです。

 

確かに、それらの「物語」を読むことは、私たちが今の私たちと「全く違う生を生きる」ということでもあります。

 

これはロールプレイングです。その時の感情の揺れ動き、「すごい!」、「かっこいい!」、「心が温かくなる」、といった高揚、あるいは「悲しい」、「寂しい」、「切ない」などといった悲哀を記録しておけば、もし、この先の人生でその物語に「どこか似ている気がする」状況に遭遇した時に、その場の誰かの心に「寄り添って」行動することができるようになる、そんな気がします。

 

そういった人間の悲喜こもごもにどれだけ触れているでしょうか。私たち自身の経験できることには限りがありますから、物語の力を借りるのです。そして「感情のセンサー」の感度を高めておくのです。

 

人間関係で構成されている社会で暮らしていくためには、そういった能力も求められるでしょう。

 

 

著者はまた本文中で、「人間は『極』をどれだけ経験したかで、度量が決まる。真ん中を歩いている人からは何も生まれてこない。極端を経験してこそ、豊饒な言葉を発することができるのだ」と述べています。

 

とはいえ、現代では、極端にとんがった生き方をしている人の方が少ないのではないかと思います。そのような「真ん中」にいる私たちが、「極」に少しでも近づき豊饒な言葉を獲得するためには、「極端」な人たちが書いた作品に触れて、その苛烈さ、容赦のなさを、私たち自身の現状を否定して、成長するための糧にするのが良いのでしょう。

 

自己を省みるための「鏡」とするのです。物語という想像力の産物であっても、登場人物の激烈な生の中には、安穏と暮らす私たちを傷つけるのには十分に鋭いナイフが埋まっているからです。

 

そうして「自己否定」によって、傷つけられて血まみれになった私たちは、刺さったナイフを抜くための「自己肯定」の旅を開始するわけです。

 

その過程の先に、自己の成長とささやかな成果が待っていることでしょう。

 

 

4. まとめ

 

・「理解する」とは「人に説明できる」ということ

 そのためには違いを表す「言葉を知っている」必要がある

 

・他者への想像力を磨く「感情のセンサー」の感度を高めるには

 神話、古典文学、小説などを読み、自分の感情の機微を記録する

 

・自己検証、自己嫌悪、自己否定の先の自己肯定を目指す過程に

 自身の成長がある 

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・超一流の仕事人の考え方を学ぶ


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・紹介されている本を少しずつでも読んでみたくなった

 

・「ぬるま湯」に使っている自分の甘さを思い知らされて

 活力が湧いてきた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・まずは『邪宗門』(高橋和巳)を読んでみる

 

・一日の振り返りを通して、自己検証、自己嫌悪、自己否定を

 行う


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・仕事、人生に対する真剣さが今と全く別人のように変化している

 

・紹介された小説を10冊読み終わって、自己検証、自己嫌悪、自己否定を

 行っている

 

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