読書尚友

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人工知能をどのように利用していけば良いのか?『人工知能の核心』羽生善治 NHKスペシャル取材班 著

 

人工知能の核心 (NHK出版新書 511)

人工知能の核心 (NHK出版新書 511)

 

 

 

今日の読書日記は、『人工知能の核心』から、人間にあって人工知能にないものについて。

 

 

人間が「直観」「読み」「大局観」の三つのプロセスで手を絞り込んでいくとすれば、人工知能は超大な計算力で「読み」を行って最後に評価関数で最善の一手を選ぶという形になります。

 

ここで人間にあって人工知能にないのが、手を「大体、こんな感じ」で絞るプロセスです。棋士の場合には、それを「美意識」で行っていますが、人工知能にはどうもこの「美意識」にあたるものが存在しないようです。

 

それは一体、なぜでしょうか。

 

私はその理由は、人工知能に「恐怖心がない」ことと関係していると考えています。

 

人工知能はただただ過去のデータにもとづいて、最適解を計算してきます。

 

そのため、人間の思考の盲点になるような手を「怖いもの知らず」で平然と突いてきます。そんな危険な手をなぜ選ぶのかと驚くことさえあります。

 

こういう、人間の思考の死角や盲点のようなものは、どうも私には、防衛本能や生存本能に由来しているように思えてなりません。

 

人間は、生き延びていくために、危険な選択や考え方を自然に思考から排除してしまう習性があるような気がします。

 

 

私には、人間の持つ「美意識」は、「安心」や「安定」のような感覚と近しいものであると思えるのです。

 

一方、ある局面で危険を察知すると、「不安」や「違和感」を覚え、どんなに上手な手に見えても打たなかったりする―――。

 

 

結局のところ、私たち棋士が現在見ているのは、将棋のほんの一部の可能性で、全体からすればとても狭い領域にすぎません。

 

そのなかで私たちは、自分たちの経験から培った「美意識」を働かせて、「筋が悪い」「形が悪い」と、「直観」や「大局観」で感じているだけですから、自分たちの知らない世界に充分に「良い手」が存在している可能性はあるのです。

 

つまり、人間の思考というものは、あらかじめ「美意識」によって狭められていて、選択肢を減らされているのではないでしょうか。

 

そして、そこにスポットライトを当てただけでも、将棋ソフトや人工知能の意義は非常に大きいと言えるのではないかと、私は考えます。

 

しかし、これが社会のなかに導入されていく段階になると、人間が人工知能の判断に納得できるかどうかは、より厳しく問われるでしょう。

 

「美意識」に適う、ということは、やはりとても高いハードルだからです。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. 美意識と恐怖心

2. 「怖いもの見たさ」という境界線

3. まとめ

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1. 美意識と恐怖心

 

将棋棋士の羽生善治氏がNHKスペシャルの番組で取材された際の体験を元にまとめられた本です。

 

昨今、将棋や囲碁、ポーカーなどのゲームで人工知能が人間のプロに勝ったというニュースを良く見聞きするようになりました。

 

著者の体験を元に、「人間にあって、人工知能にないもの」や、「今後、人工知能とどのようにつき合っていくべきか」などに対する深い考察が述べられています。

 

この本の中で。人間にあって、人工知能にないものの一例として「美意識」と「恐怖心」が挙げられています。

 

面白いと感じたことは、「美意識」の裏側には人間の「防衛本能」や「生存本能」があるのではないか、と考えられていることです。

 

私たちは、意識する、しないに関わらず「型」というものを大切にしています。何故ならば、その「型」に則って行動すれば、「道を外れることがない」、「失敗することがない」と考えられているからです。

 

将棋や囲碁で「定石」と呼ばれるものはこの「型」に当たりますし、仕事の「業務マニュアル」や「義務教育」もそのような「型」の一つと考えることもできると思います。

 

「型」の外に踏み出す、「道を外れる」ことには、「危険」と「失敗の不安」が常につきまといます。ですから、誰でも「怖い」ですし、道からのはずれ具合が大きければそれこそ「命の危険」を感じるようなこともあるでしょう。

 

これは、自分の意識していない「型」、「枠組み」が自分の「限界」を規定している、ということでもあります。

 

人工知能が将棋の名人や囲碁で世界最強と言われる棋士に勝った時、その指し手の中には、プロ棋士でも、これまで経験したり想像したことのなかった一手があったのではないでしょうか?

 

ゲームに限らずとも、人は自分の理解の範疇を超えるものに遭遇した時に不安や恐怖を感じます。

 

ただ、その後、そこで思考停止になってしまい、そのまま恐怖に囚われてしまうか、あるいはそれが意味するところを観察・分析し、理解しようとするか、というところに分岐点があるように思います。

 

 

2. 「怖いもの見たさ」という境界線

 

子どもの頃を思い出してみて下さい。誰でも遊びの中で、色々な「挑戦」や「いたずら」をしてきたと思います。

 

例えば階段を「二段飛ばし」で降りようとしてみたり、あるいは親の持ち物を隠してみたり。その結果、階段でこけて膝小僧をすりむいて泣いたり、親にさんざん怒られたりするわけです。

 

このような経験を通して、何をすれば自分の身が危険にさらされるのかを子どもは学んでいきます。

 

そうして、「こうするのは自分にとって良くない」、あるいは「相手にとって良くない」という「型」を一つ一つ学んでいきます。そのような無数の「型」(=一般常識)を身につけてきたのが私たち「大人」ということになります。

 

逆に言うと、大人は「型」に縛られてしまっているということでもあります。

 

ところが、です。今回引用した箇所にもあるように、人工知能はそのような沢山の「型」を身に付けたプロ棋士という「大人」でさえも、まだ知らないような「型」があることを突き付けました。

 

人工知能からすれば、プロ棋士であっても「子供同然」であるかのように。

 

そうであるならば、私たちがこれからの人工知能時代において、取り組むべきことは自分の「型」をどんどん破っていくことである、ということになるはずです。

 

つまり、私たちは子どもの頃のように、「これをやったらどういう結果になるのだろう?」という「挑戦」や「いたずら」を沢山行っていくことが求められるでしょう。

 

そして人工知能に「意見を求める」のです。(ただし人工知能も100%の正解を出せるわけではないので、あくまでも「セカンドオピニオン」としてですが)

 

そのようにして「未知の型」を修得すればするほど、人生や仕事に「奥行き」が持てるようになると思います。

 

でも、実際のところ、「型破りのチャレンジ」は人間の「防衛本能」や「生存本能」を脅かすものであることには変わりがありません。

 

そこで思い出したいのは、やはり子供の頃の気持ちです。それを言葉で表すならば「怖いもの見たさ」ということになります。

 

「怖いもの見たさ」という言葉を因数分解してみると、「怖い」、でも「見たい(興味がある)」という二つの要素で構成されていることが分かります。

 

つまり、「恐怖心」と「好奇心」のバランスがつりあっている状態、ということができるでしょう。

 

私たちが今身に付けている「型」を脱ぎ捨てて、新たな「型」を身に付けるために必要なのはまさしくこの「怖いもの見たさ」という気持ちなのだと思います。

 

そこで、ほんの少しだけ、「好奇心>恐怖心」の状態にしてやるのです。失敗したら引き返せる程度の、ほんの少しだけ好奇心が勝って、一歩だけ道を踏み外してみる気持ちです。

 

「怖いもの見たさ」の境界線を越えるのです。これができれば世界が広がります。

 

そして境界線を越えるため、人間が世界を拡張していくアシストをしてくれるのが、人工知能である。

 

私は現在そのように考えています。

 

 

3. まとめ

・人間の「美意識」や「恐怖心」は人間の「防衛本能」や「生存本能」と

 結びついている

 

・人間の意識していない「型」、「枠組み」が人間の「限界」を規定している

 ということを人工知能は教えてくれる

 

・ 人工知能時代において、私たちが取り組むべきことは、人工知能の力を借りて

 自分の「型」をどんどん破っていくこと

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・人工知能と人間の差異、人工知能との付き合い方についての

 知見を得る

 


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・「美意識」や「恐怖心」、「時間」という

 人工知能にないものの視点を整理することができた

 

・人工知能との上手な付き合い方について考えることができた

 


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・自分の世界を広げていくために使えそうな人工知能は

 試しに使ってみる

 

・行動するにあたり、自分が「美意識」や「恐怖心」に

 囚われてしまっていないかを意識してみる

 


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・「怖いもの見たさ」の境界線を今よりも軽々と

 超えていけるようになっている

 

・「型破り」が日常化している

 

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人工知能の核心 (NHK出版新書 511)

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