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タテマエと本音を見極めるためには?『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子 著

 

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

 

 

 

今日の読書日記は、『驕れる白人と闘うための日本近代史』から、タテマエと本音について。

 

 

いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントからヨーロッパへ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることのできた商品とを比較してみるとよく分かる。

 

オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品、鉱物性の油や揮発油などが輸入された。最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、シナモン、ナツメグといった各種の香辛料だった。

 

様々な染料も輸入された。繊維製品では生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も持ち込まれた。アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠。高価な陶磁器も運ばれてきた。

 

これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで、簡単だった。羊毛、皮革、毛皮そして蜜蝋(みつろう)である。

 

この他にはほとんど何も、地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨーロッパは提供することができなかった。

 

オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものは全て、金・銀で支払わなければならなかった。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった。

 

しかし、ヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くことをしらなかった。需要の拡大に反比例してヨーロッパの金・銀の貯蔵量は減少していった。

 

そこで、何世紀にもわたってアジアへの輸出のために特別な商品が用意されたのだった。

 

その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である。

 

この商品については、ドイツの一般的な歴史書にはほとんど記されていない。私が調べた限りでは、他のヨーロッパ諸国の歴史書にも記載されていない。

 

時折、キリスト教徒の男奴隷、女奴隷が北アフリカのサラセン人のもとへ売られていった、と恥ずかしそうに触れられていることがあるだけである。

 

そしてこういった指摘は大抵、野蛮なサラセン人の海賊が悪人で、可哀想なキリスト教徒はさらわれたのだという印象を受けるように書かれている。

 

しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を持ったものは何も提供できなかったからである。

 

ヨーロッパ内部でも、何世紀にもわたって奴隷売買は盛んであった。一五〇一年に南イタリアのカプアが占領された時、男は全員殺され、女はローマの奴隷市場で売買された。

 

一五五〇年頃、チュニジアの首都のチュニスだけで、約三万人のヨーロッパ人男女の奴隷がいたことが記録に残っている。

 

全てキリスト教国のキリスト教徒によってどこかで捕らえられ、縛られ、猿ぐつわをかまされ、王侯貴族や特権聖職者、富豪たちが競って求めているオリエントの贅沢品と交換するために運ばれて行ったのである。

 

ヨーロッパのいくつかの民族が海洋国家となったそもそもの動機は、決して遠い異教徒たちの魂を救済するためでも、キリスト教伝道の任務を遂行する内なる衝動のためでも、文化的優越感のためでも、その優越感から導き出された、非ヨーロッパ民族をヨーロッパの文化によって幸せにしたいという願いのためでもなかった。

 

大航海時代を生み出した原動力は、自然に呪われたヨーロッパ大陸の貧しさを克服したいという願望だった。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. タテマエと本音

2. 言葉と行動

3. まとめ

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1. タテマエと本音

 

この本は、米国とドイツの大学院を卒業後に、米独両国で評論の執筆や講演、討論会等の活動を行っている著者が、欧米諸国で感じた欧米人の歴史認識における優越感を「挫(くじ)く」ために書かれたという本です。

 

それと同時に、日本人の劣等感を打ち破るためにも書かれているとのことです。

 

邦題では、何やら煽るような書名がつけられていますが、原著は著者がドイツ語で書かれており、その時の書名は『宇宙船日本 ~真実と挑発~』とのことです。

 

欧米人が抱いている彼らの歴史に対する優越感に対して、彼らが誤解している歴史の「真実」を突きつけることで「挑発」する、という意味合いです。

 

詳しい内容は本書を読んで頂くと分かりますが、私たち日本人でも正しく知らなかった、鎖国時代、江戸末期の日本から欧米列強に並び立たんともがく近代日本までの様子が説明されています。

 

特に、江戸時代の社会システムが他の国々に比べ、非常に高度なレベルにまで整っていたからこそ、開国後、非常に短い期間で欧米の技術を導入することができた、という説明は理に適っているように思いました。

 

同時に、欧米式のシステムが輸入されたことで、例えば、それまでうまくいっていた日本式の農村や土地の管理システムが破壊されたことなどが述べられています。

 

大航海時代後に、植民地拡大政策をとっていた欧米諸国が開国当時の日本に対して行った理不尽な行動には、読んでみると憤りを感じるような部分もあると思います。

 

 

さて、今回引用したのは、大航海時代の前夜、アラブ商人とヨーロッパ人の貿易に関する部分です。

 

著者は、「ヨーロッパが全世界に出て行った本来の動機は知識欲と探検への情熱であったというのは、美しいお伽話である」と喝破しています。

 

見知らぬ土地への危険な航海は全て莫大な利益を得んがため、「欲得」のためである、ということです。

 

 

私たちは何かの事件や出来事に触れた時、そこに何らかの「意味解釈」を与えます。その出来事は何故起こったのか?何故、その人は、そのような行動を行ったのか?

 

その当時の状況と、登場人物の心情を推測して、「もっともらしいストーリー」を作り出して(でっちあげて)いきます。

 

そのストーリーが多数の人にとって、納得しやすい、受け入れやすいものであるほど、「定説」として語り継がれていくことになります。

 

注意が必要なのはこの「その人にとって受け入れやすいストーリー」を人は受け入れる傾向があるということです。

 

歴史の問題においては特にそれが顕著で、人は自分にとって「不都合な真実」は「嘘・偽り」だとして、聞く耳を持ちません。

 

あくまでも、「事実」・「データ」に立脚してストーリーを展開するべきなのですが、そういった論理的な話よりも、感情に訴える話の方が好まれる傾向があります。

 

もし、大航海時代が始まった理由が、未知なる世界へのあこがれや、キリスト教の布教により異教徒の魂を救済するため、であれば何よりロマンがありますし、高潔で崇高なる目標には、聞く者の心も奮い立たされます。

 

でも、そのようなことはなくて、ヨーロッパとオリエント地方との貿易において、アラブ人を仲介していると、ヨーロッパ諸国には利益が出ない。

 

そのため、アラブ商人を介さず、直接オリエント地方と貿易を行い、利益を独占するのだ、という切実な「欲望」に突き動かされた、というのが大航海時代の始まりの本当のところのようです。

 

つまりは、後付けの高潔な「タテマエ」と、当時の実際のドロドロとした「本音」があったということです。

 

そして、耳障りがいい「タテマエ」の方が、いつしか事実として信じられるようになってしまっている。

 

 著者はそこに疑問を呈し、欧米人にとって愉快には聞けないであろう「真実」を突き付けています。同時に、欧米に対して何故かコンプレックスを感じてしまう、私たち日本人を叱咤激励してくれてもいるのだと思います。

 

そして、タテマエと本音を見極めるためには、「疑ってみる」心、「自分で」調べてみる心が必要になってくるでしょう。 

 

2. 言葉と行動

 

「タテマエ」と「本音」、この二つは他の言葉に置き換えて考えてみることもできるでしょう。

 

それは例えば、「言葉」と「行動」です。

 

「今週中にやります!」と高らかに宣言しておきながら、いざ、次の週になっても、それがまだできていない。このようなことはどなたでもご経験があるのではないかと思います。「言行不一致」というやつです。

 

そのような時、周りの人は、その人の何を見て、評価するかというと、「言葉」ではなく「行動」の方ですよね。

 

「言葉」だけで「行動」が伴わないでいると、信頼を積み重ねていくことは難しいです。

 

「〇〇さんは口ではやると言っていたけど、本音はやりたくないんだな」と判断されてしまうでしょう。

 

歴史を考える時も同じで、後付けの装飾された説明を鵜呑みにする前に、その人達は一体どういう「行動」をしたのか、という「事実」を冷静に見つめなければ、その出来事を正しく判断することはできないのだと感じました。

 

 

言葉と行動、という視点でみると、私たち自身の行動としては、「有言実行」と、「不言実行」と、「有言不実行」と「不言不実行」という4パターンが考えられます。

 

結局行動しない後者の2つは問題外として、自分の行動量を増やして成果を出し、成長していくためには、「有言実行」と「不言実行」ではどちらの方が良いでしょうか。

 

これは場合による、というか使い方次第ではないかと思います。

 

「有言実行」は周囲に宣言することで、自分を監視してもらい、自分を追い込むという方法です。これには非常に強い「強制力」が働きます。

 

その一方で、宣言した目標が高すぎたりして達成できない状態が続く場合、燃え尽きてしまったりする恐れもあります。

 

次に「不言実行」ですが、これは周囲に宣言しないため、プレッシャーなどはかかりません。したがって、燃え尽きることはないでしょう。

 

しかし、人間は基本的にラクな方に流れる生き物ですから、何らかの形で「自分を縛る」仕組みを用いないと、そのまま「不言不実行」の状態に陥ってしまうでしょう。

 

使い分けとしては、日常のこまごまとした用事レベルの行動なら「不言実行」で。少し背伸びした挑戦を含む行動なら「有言実行」で取り組む、というのが良いのではないかと個人的には思います。

 

 上記のどちらにしても必要なのは「スピード」ですね。何故ならば、チャレンジに失敗しても早い段階であればリカバリーができることが多いからです。

 

スピードの話はまたいつかしてみようと思いますが、私たちが歴史を学ぶのは、結局のところ、先人達が既に自分たちの代わりに失敗してくれたことを繰り返さないため。それに尽きるのではないでしょうか。

 

私たちの時間は有限です。それを活かさない手はありません。

 

 

3. まとめ

 

・歴史には後付けの高潔な「タテマエ」と当時の実際の

 ドロドロとした「本音」がある

 

・タテマエと本音を見極めるためには、「疑ってみる」心と

 「自分で」調べてみる心が必要

 

 ・有言実行と不言実行は用途によって使い分ける

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・近現代史に対する理解を深める


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・鎖国時代の日本の社会システムの優れた点について

 学ぶことができた

 

・欧米諸国の考え方についても理解を深めることができた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・自分と相手のタテマエと本音の両方を理解するための

 努力を続ける

 


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・近現代史に対する理解を今よりも深めている

 

・先人の失敗から学び、教訓を言語化してストックしている

 

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驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

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