読書尚友

先人の叡智を自分の行動に落とし込んで、成長と成果に変えていくブログ。焼きたてのトーストにバターを塗るように、日々の学びを薄く薄く伸ばして染み込ませてゆく

つらい環境に立ち向かうためには?『心の休ませ方』加藤諦三 著

 

心の休ませ方 (PHP文庫)

心の休ませ方 (PHP文庫)

 

 

 

今日の読書日記は『心の休ませ方』から、環境の捉え方について。

 

 

生きることに疲れたあなたは、休みながら三つのことを自分に質問してみることである。

 

一つは、もし明日死んでしまうとなったら、いま自分は何をするか?

 

その人たちに気に入られるために最後の力を振り絞るだろうか。もう一度疲れた体に鞭を打つだろうか。

 

そうではないだろう。「このイヤーな人のことなんかどうでもいい」と思うのではないか。

 

人生は一度しかない。本当に一回なんだよ。本当に人生は一度しかないと思ったら、自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。あなたはいままで「人生は一度しかない」と本気で思ったことがないのではないだろうか。

 

もし「この人生は一度しかない」と本気で思ったら、あなたは生き方が違ってくるだろう。

 

 

次に、いまつきあっている人について、「この人たちとどういう人間関係で終わるのか?」と考えてみる。

 

この人は自分が歳をとったら世話をしてくれる人か?自分が自動車事故にあったら面倒を見てくれる人か?そう思ってその人たちを見たら、誰が誠実か、だれが不誠実かが少しは分かるかもしれない。

 

 

最後に、自分の胸に聞いてみることは、先ほど書いた寓話の中のカメのように、「自分はいままで何をしてきたのだろう」と考えたことがあるかということである。

 

考えたことがない人も多いのではないか。普通は生きることに疲れたなら、そう自分に問いかけておかしくはない。

 

そう考えないあなたは、いまだにその人たちの期待に応えられないことを恐れているか、あるいはその人たちを恨んでいるかだろう。

 

 

生きることに疲れたあなたは、自分についての事実を変えようとするよりも、あなたの心を変えようとすることである。生きることに疲れた時と、生きるエネルギーを回復した時では、世界は違って見える。周囲の人も違って見える。自分自身も違って感じられる。

 

 

追い詰められた時に人はどう対処するか?状況をダメだと思う人と、自分の信念で生き延びようとする人がいる。

 

考えてみれば絶体絶命の立場といえばロビンソン・クルーソーであろう。絶海の孤島に一人残されたのである。誰が見ても絶望する状況である。しかし、ロビンソン・クルーソーは生き延びた。

 

ロビンソン・クルーソーを考えれば、どんなに苦しくても現実に絶望してはいけない。

 

生きることに疲れた人も、いまは休んで、エネルギーが回復するのを待つのである。いまあることを素直に受け止めていれば、いつか幸運が来る。

 

未来を信じれば、新しい行動が生まれるかもしれない。

 

「人にこうしてほしい」という願望を捨てること。ただ捨てること、その時に幸運が来る。

 

 

頑張ることだけでは何も解決しない。生きることに疲れたあなたにいま必要なのは、努力でも頑張りでもなく、休むことであり、この機会に生き方を変えることである。あるいは人を見る目を変えることである。肯定的なことに目を向けることである。

 

努力と意志だけでは物事は解決できない。上手に生きる知恵が必要である。

 

そうすれば、自分には明るい素晴らしい人生が必ず待っていると信じることである。肯定的なことに心を向ければ、暗い顔をしていたのが、明るい顔になり、何かが違ってくる。

 

生きる姿勢を変えれば、周囲に集まる人も違ってくる。

 

 

〈今日のコンテンツ〉

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1. 期待をしない

2. ファクトとマインド

3. まとめ

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1. 期待をしない

 

「生きることに疲れる」というほどではないにしても、自分にとっては比較的大きく感じられるストレスにさらされることが時々あります。

 

そのような場合、ストレスを解消するために、あるいはストレスに追われるように、高い集中力を発揮できる時と、その集中力が途切れた後の激しい脱力感に襲われる時とが交互に訪れたりします。

 

この落差は大きく、そして、疲労の蓄積により、集中している時間帯よりも、脱力している時間帯の方が徐々に長くなっていきます。一度、集中力が途切れてしまうと、睡眠をとるなどして気力を回復しない限り、集中力を回復できない時もあります。

 

集中している時には一種の興奮状態、いわゆる「フロー状態」でもあるために、あまり考えることはありませんが、脱力状態の時に、ふと、「なぜ自分はこんなに頑張っているんだろう?」「何のために?」「誰のために?」などと考え始めてしまうことがあります。

 

そして、頑張っている(頑張ろうとしている)自分自身が馬鹿らしく感じられるようになった結果、急に全てが面倒くさくなって、「もうどうでもいい」と今までやってきたことを放棄してしまう。自分で作った積み木の山を自分で壊してしまう。

 

もし、そのようなことに思い当たる節があるのだとしたら、やはり少しばかり疲れているのかもしれません。

 

 

著者は、この本の中で、そんな時には「休む」ことだと述べています。そしてエネルギーが回復するまで、頑張らないで待つことだと。

 

努力することや耐えること。それらが無条件に望ましいことだと信じてきたことが間違っていると。無理をしてでも「そのことをすることは望ましい」としてきた私たちの「価値観」が間違っているのだと主張されています。

 

 

生きることに疲れた時には、エネルギーが回復するのを待ちはするのですが、同時に、「待っていてはいけないこと」もあります。それは今現在の自分の状況を「誰かが助けてくれるのを待つこと」です。

 

「雨がやむまで待つ」、「嵐が通り過ぎるのをやり過ごす」というのは自然現象ですから可能ですが、やり過ごしている間にも私たちの時間だけは過ぎていきます。そして「現在の」私たちを取り巻く状況は自然現象ではありません。「過去からの」自分の考え方や行動の結果、生じているものです。

 

確かに、自分にとってつらい「環境」に否応無しに身を置かざるを得ない時期、というのも人生には存在します。私たちの誰にだって山もあれば谷もあります。

 

その「環境」に対してどうすることもできなかった自分に対する歯がゆさを抱え続けていたり、助けてくれなかった周囲の人間に対して恨みを抱くこともあるかもしれません。

 

そして一度、このような「環境」を経験してしまうと、後々、かなり危険な状態になってしまうことがあります。

 

それは、「あのような環境にいたから、自分は今でも、こんなひどいことになっているんだ」とか、「あの時、誰かが助けてくれていたら、きっと自分は惨めな思いを味わうことはなかったのに」などという思いを、後々まで延々と引きずってしまうということです。

 

これはつまり、悪いのは「環境のせい」、「人のせい」。そして、かわいそうな被害者は「自分」という「思考回路」が植え付けられてしまっているということです。

 

この「思考回路」がさらに悪い方向に進むと、「環境は自分の力で変えられるものではない」、というあきらめが心に常駐するようになり、いつしか自分の努力さえも「無価値」なものに思えてきます。従って、自分以外の誰かが、自分を助けてくれる救世主になってくるのを待ち望むようになるのです。

 

でも、そんな救世主なんて、いつ来てくれるか分かりません。私たちの人生が終わる時まで待ち続けてたとしても、来てくれないかもしれません。

 

過去にどれだけつらい「環境」にいた時期があったとしても、そのことにまずは気づかないといけません。おみくじを何回引いたとしても、その待ち人は勝手には「やって来ない」のです。

 

だから「人にこうして欲しい」という願望は、そのような期待は「捨ててしまう」のです。それが出発点になります。

 

 

2. ファクトとマインド

 

誰かが自分を助けてくれる、という「期待を捨てる」ということは、なけなしの勇気を振り絞って「自分の足で立つ」という「覚悟を決める」ということでもあります。

 

その次にはどうしたらよいのでしょうか?

 

今回引用した中で、著者はこのようにも述べています。「自分についての事実を変えようとするよりも、あなたの心を変えようとすることである」と。

 

このことについて、色々なところで出される例え話は「色眼鏡の話」です。

 

透明なガラスのコップに牛乳が注がれているとしましょう。当然、コップの中の牛乳は白い色です。

 

これを「青いレンズ」の入ったサングラスで見るとどう見えるでしょうか。もちろん「青く」見えます。

 

また、「赤いレンズ」の入ったサングラスで見ると、もちろん「赤く」見えます。

 

このように、例え実際は「白い色」のものだったとしても、その人のものの見方、「考え方」によって、「青い色」にも「赤い色」にも見えてしまいます。

 

つまり「事実」に対する「意味解釈」、「受け取り方」はその人次第だということです。

 

2017年11月の現時点では、タイムマシンは(たぶん)発明されていませんから、私たちは「過去」に戻って「やり直す」ことはできません。過去に起こった「事実」は変えられません。

 

ですが、幸運なことに、過去に起こった「事実」に対する「意味解釈」は今からでも変えることができます。

 

「白い色」の牛乳を何色で見たいか?その色眼鏡のレンズの色は私たち自身が自分で選ぶことができるのです。「赤い色」が嫌だったら「ピンク」にしてもいいし、「ライトグリーン」にしても良いのです。

 

それが考え方を変える、ということでもあります。

 

「環境のせい」「人のせい」という世界が「モノクロ」にしか見えないレンズの色眼鏡は投げ捨てて、もっと「フルカラー」のレンズで世界をありのままに見つめる。これからはそのような努力をしていきたいですね。

 

 

3. まとめ

 

・つらい環境に身を置くことで植え付けられる思考回路に気をつける

 

・「人にこうして欲しい」という期待は捨ててしまう、それが出発点になる

 

・「事実」は変えられない。ただし、それに対する「考え方」、「意味解釈」は

 自分で選び取ることができる

 

 

〈今日の読書を行動に変えるための
 個人的チャレンジシート〉
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1.この本を読んだ目的、ねらい

 

・自分の精神的な疲れを感じた時の対処法を学ぶ


2. 読んでよかったこと、感じたこと

 

・改めて、停滞期から歩み始めるための考え方を学ぶことができた


3. この本を読んで、自分は今から何をするか

 

・「事実」とそれに対する「意味解釈」を

 切り離して考えることを意識する


4. 3か月後には何をするか、どうなっていたいか

 

・誰かがやってくれるのを待つのではなく、

 今よりも自分で率先して動けるようになっている

 

・フルカラーレンズの色眼鏡で多面的に物事をみることが

 できるようになっている

 

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